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大島定期航路沿革

4月7日(日)、気仙沼大島大橋(愛称:鶴亀大橋)が開通/供用開始となります。まさに長年の悲願達成の日となり、間違いなく喜ばしいこと。しかしその一方で、気仙沼の内湾と大島を結ぶ大定期航路/フェリーが廃止となることをさびしく思っている人も多いのではないでしょうか。

そんな気持ちをくすぐるというか、ゆさぶる動画を気仙沼ニッティングさんが3月31日に投稿していました。



投稿した気仙沼ニッティングのスタッフ菅原さんは、〈今まで日常だった風景がなんだかとても貴重なものに思えてきます〉と記しています。同感。菅原さんには、昨年6月にTOBICHI東京のイベントでお会いしたことがあります。気仙沼出身ではないとおっしゃっていましたが、この柏崎(かしざき)からの内湾風景の味わい方に関してはすでに相当のレベルです。

大島汽船の大島航路廃止についてはこのブログでも書こうと思っていたのですが、いろいろとほかの話題があって遅れておりました。この機会にまとめておこうと思います。まずは三陸新報の元旦特集頁から。


元旦特集
三陸新報1月1日記事より(クリックで拡大)


この記事から大島汽船をはじめとする大島と本土を結ぶ定期航路に関する沿革を以下にまとめます。(本土という言い方はいまだに慣れないのですが、浦島側とか鹿折側というのもなんかねえ)

気仙沼大島への旅客船の歴史は、1906(明治39)年にまでさかのぼります。この年、個人3人が県知事の渡船業許可を得て、手漕ぎ船で創業。大島から本土までを片道2時間かけて結んだそうです。その後、大島村の補助で発動機船が導入され1921年までに村営船3隻などによる、定期運航(浦の浜~尾崎~魚町)が実現します。事業者はいずれも、後に大島汽船設立の核となる船主の先達でした。

太平洋戦争中は、燃料や乗組員の不足、利用者減少などが経営を圧迫します。そして1943年、各事業者が大島汽船組合を設立して航路を統一して共同運航を開始、翌1944年には大島汽船運航会に改称。そして1948年には経営の合理化を目指して大島汽船株式会社が誕生しました。記事から読み取れば、この時点でも村営船が存在していたようです。

1955年、大島村は気仙沼市に編入されますが。村営船は市営汽船へと引き継がれ、大島汽船とともに島民の生活を支えていくのです。それから15年後、1970年には車両運搬の需要増加を受けて「かめやま」によるフェリー事業を開始します。これにより大島汽船の経営が改善に向かったといいます。

2003年には気仙沼市による旅客船事業が廃止されます。これに伴い、市と大島汽船とで大島航路に関する第3セクター化の覚書が締結され、大島汽船が同航路唯一の運航業者となりました。そして2011年。東日本大震災で同社の所有する船7隻すべてが流失や損傷したことで経営危機におちいります。しかし、広島県江田島市からフェリーの無償貸与を受けて営業を再開することができたのです。2018年、大島汽船は70周年を迎えましたが、気仙沼大島大橋が開通すれば航路の赤字経営は免れず、大島航路の旅客船事業廃止を決断したといいます。

以上が三陸新報の記事の要約です。念のためと思って調べた「気仙沼市史」第5巻 産業編(上)にも関連記述がありましたので、その内容から少し補足しておきます。まず1944年の大島汽船運航会への改称ですが、これは太平洋戦争下の企業統制によるものです。終戦後に統制は解除となり運航会から村営に合流する請願が出されて村の直営方式で一本化されるに至ったものの、村営・運航会・個人経営の三者の折り合いが付かずしばらく混乱が続いたとのこと。

市営の大島航路についても若干の記述がありました。それによれば1956(昭和31)年、市は大島航路の旅客船「やすなみ」(21t)を建造しました。1964(昭和39)年7月1日には初の鉄鋼旅客船「たつまい」(60t)が進水し、気仙沼~浦の浜を運航。1969(昭和44)年7月にはフェリーボート「かめやま」が就航しています。市史からは以上。

なお、大島定期航路は廃止となりますが、1月8日の三陸新報によれば、旅客船「みしお」が遊覧船としてデビューします。同船は塩竈市営汽船が使用していたものを大島汽船が購入したもの。現在は、これまで運航していた「海来」(たしか「みらい」でしたね)の代替船として運航しています。

遊覧船
三陸新報1月8日記事より

本日4月5日の三陸新報にも、気仙沼港と大島の連絡船に関する記事が掲載されていました。1969年から菅原進さんが個人として運航してきた臨時船「ひまわり」も4月6日夜で運航を終了するとのことです。

今日はここまでにしておきましょう。私がまだ小さなころの夏、大島/小田の浜での海水浴のために魚町からのった「やすなみ」や「たつまい」などについてはまたあらためて。

こうして大島航路の歴史をおさらいしたあとに、冒頭の内湾をゆく大島定期フェリーの35秒の無音映像を見ると、その味わいがさらに増してきて。もうたまりません。対岸には私の実家跡もうつっています。今週はこれにて。
 
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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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