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ヤマヨの俊明さん

三陸新報連載〈わが社の屋号〉16回目は弁天町の〈ヤマヨ常山商店〉さんでした。

3月6日ヤマヨ2
三陸新報3月6日記事より


記事によると、創業者の常山義治さん(故人)は三重県出身だったそうです。戦時中は海軍の補給艦に乗船し、戦後は三重のカツオ一本釣りの漁師になります。その後、縁あって松浦清太郎さんが営む気仙沼市南町の鮮魚店「松浦商店」で働き、気仙沼に移り住んだとのこと。

そして、松浦さんの長女だった喜久子さんと結婚した義治さんは1966(昭和41)年に独立して、内の脇に鮮魚仲買卸「ヤマヨ常山商店」を創業しました。屋号「ヤマヨ」は、常山の〈山〉と義治さんの〈ヨ〉からとったそうです。

記事に〈義治さんは、三重のカツオ船が気仙沼に入港、水揚げするたび、同郷の船頭たちから飲みに誘われるほど慕われた〉と記されていました。今に至る三重と気仙沼との強いつながりがうかがわれる話です。

この記事の中に、義治さんの次男で2代目の俊明さんが26歳で会社を継いだと書いてあるのを読んで驚きました。常山俊明さんはヤマヨの方だったのかと。私たちより5学年下で現在62歳になる俊明さんは、画家、美術家としても知られています。このブログでは2度ほど紹介しました。1度目は震災前のエースポート広場に設置されていたモニュメント〈港町ブルース歌碑〉の作者として、2度目は千田基嗣さんの詩集『湾Ⅲ』の表紙に描かれた第18共徳丸の絵の作者としてです。

以前のブログで常山さんのことを記すときにいつも同姓の光子さん(3年1組)のことを思い出しました。常山という姓は気仙沼ではあまり聞いたことがありません。そして今回は臼井真人君(3年2組)にメールでたずねてみました。光子さんの実家はヤマヨさんかと。答えはYES。やはりそうだったかととすっきりしました。

三陸新報記事の末尾に記された俊明さんの言葉が印象に残りました。

〈カツオは気仙沼の命綱。カツオなしには語れない」と俊明さん。シーズンが近づくと「血が騒ぐ」のは、父親譲りと自負している〉(引用は以上)

「血が騒ぐ」。三重でカツオ一本釣りにも従事したことのあるお父様の話を知ったあとでは、三重から気仙沼へと、黒潮によってつながれてきた血統というものを思わずにはいられません。

2016年5月10日ブログ「港町ブルース逸話」
2018年7月30日ブログ「気仙沼 in 目黒区」
 
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Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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