唐桑物語Part3

2月8日発売の雑誌『世界』(岩波書店)3月号「唐桑物語~海と生きる100年の知恵」の第3回目は「潜水艦に学んだ名船頭」。

世界,jpg (誌面イメージ)

気仙沼市唐桑・鮪立(しびたち)地区の「恵比寿棚」畠山一族の長男で、北洋鮭鱒流し網漁に命をかけた伝説の名船頭〈こんつぁん〉こと畠山耕治さんの話です。

畠山さんが伝説の名船頭(漁労長)と呼ばれる理由のひとつが漁獲実績です。なんと1961年から9年連続で中型鮭鱒流し網船の水揚げ金額日本一を達成したのです。船員一人頭に換算すると3カ月で100万円。陸(おか)のサラリーマンが月給3万円の時代の話です。北洋に2年出ると「家がたつ」といわれたそうです。

なぜそれほどの漁獲ができたのか。それは、畠山さんが勘に頼ることなく、客観的なデータにもとづいて漁をおこなったからだといいます。そして、その科学的な知識は、戦時中に広島の海軍潜水学校で潜水艦の機関長をめざす特訓によって得たものだったのです。海底図と水温の分布図を重ねあわせて分析する手法を漁場においても活用したのです。

そうしたさまざまな工夫のほか、戦時中に北洋で目にした鮭や鱒のひれで海面が埋め尽くされた〈この世のものと思われない驚くべき光景〉など、興味深い話が紹介されます。そして、1675年に唐桑の「小館(こだて)」鈴木勘右衛門らが紀州の70名余りの漁師集団を招き学んだカツオ「釣りため」漁法導入の歴史なども紹介されます。

畠山さんは、昨年3月の震災時は市立病院に入院中でした。鮪立の海岸近くの自宅や貴重な記録類は津波ですべて失ったといいます。そして9月14日に他界。87歳でした。

文章中に、つぎの記述がありました。
「〈低気圧の墓場〉と呼ばれるこの北洋海域で、彼(畠山さん)が北洋漁にデビューしてからの15年間に、海難事故で命を落とした日本の船員は、唐桑関係も含めて120名を下らない。」

北洋海域での流し網漁は、唐桑に多くの冨と繁栄をもたらしました。しかし、この過酷な北の海で失われた命も少なくはないのです。

12月21日ブログ「世界の唐桑物語」
1月16日ブログ 「唐桑物語Part2」
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Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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