クリスマスの宵に
きょうは12月24日。ということで、クリスマスイブにふさわしい(かどうかわかりませんが)写真を一枚ご紹介。

左が気仙沼小学校3年生だった私、右は気仙沼中学校1年生の兄です。アルバムには母の字で、昭和35(1960)年12月24日の日付と〈クリスマスの宵に〉と記してあります。6枚中の1枚で、ほかにはクリスマスケーキを前にしての家族4人をセルフタイマーで撮ったものや、兄弟ふたりがクラッカーのひもを引いての破裂の瞬間などがうつっていました。
兄と私のピエロみたいな変装は、たしか父が東京出張の際のクラブかバーで〈買わされた〉とかいうクリスマスセットです。父は漁業会社につとめており、築地での水揚げなどがあれば東京に出張していました。そんな時には、魚問屋とか卸の関係での接待もあったのでしょう。私がもう少し大きくなってからのことと思いますが、男が女の人の格好をしているバー(つまりはゲイバー)に連れていってもらったという話や、キャバレーのパンフレットというか、ショーダンサーらの紹介写真が掲載された結構りっぱなプログラムを見せてもらったこともありました。赤坂の「ミカド」だったと思います。
そんな父の土産話を、母はいやがることなく面白がって聞いていたように思います。私はそんな話をどんな気持ちで聞いていたのか、今では思い出すことができません。
このクリスマスイブの写真を撮ったときの両親の年齢を計算してみて驚きました。父が41歳、母が37歳。ありゃま母はまだ30代か。昨年の10月に94歳で亡くなりましたが、このときはまだ若かった。もちろんだけど(笑)。
58年前のクリスマスイブ。この写真を見ていると、息子たちにいろいろと指図して写真を撮っていた、父と母の気持ちになってしまうのが不思議です。
2013年12月23日ブログ「プレゼントは拳銃」

左が気仙沼小学校3年生だった私、右は気仙沼中学校1年生の兄です。アルバムには母の字で、昭和35(1960)年12月24日の日付と〈クリスマスの宵に〉と記してあります。6枚中の1枚で、ほかにはクリスマスケーキを前にしての家族4人をセルフタイマーで撮ったものや、兄弟ふたりがクラッカーのひもを引いての破裂の瞬間などがうつっていました。
兄と私のピエロみたいな変装は、たしか父が東京出張の際のクラブかバーで〈買わされた〉とかいうクリスマスセットです。父は漁業会社につとめており、築地での水揚げなどがあれば東京に出張していました。そんな時には、魚問屋とか卸の関係での接待もあったのでしょう。私がもう少し大きくなってからのことと思いますが、男が女の人の格好をしているバー(つまりはゲイバー)に連れていってもらったという話や、キャバレーのパンフレットというか、ショーダンサーらの紹介写真が掲載された結構りっぱなプログラムを見せてもらったこともありました。赤坂の「ミカド」だったと思います。
そんな父の土産話を、母はいやがることなく面白がって聞いていたように思います。私はそんな話をどんな気持ちで聞いていたのか、今では思い出すことができません。
このクリスマスイブの写真を撮ったときの両親の年齢を計算してみて驚きました。父が41歳、母が37歳。ありゃま母はまだ30代か。昨年の10月に94歳で亡くなりましたが、このときはまだ若かった。もちろんだけど(笑)。
58年前のクリスマスイブ。この写真を見ていると、息子たちにいろいろと指図して写真を撮っていた、父と母の気持ちになってしまうのが不思議です。
2013年12月23日ブログ「プレゼントは拳銃」
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