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屋号に込めた希望

私がいつも楽しみにしている三陸新報の連載「わが社の屋号」。本日は、6回目と7回目を合わせてご紹介します。まずは10月3日掲載の第6回目〈マルマタ〉さんです。

マルマタ

三陸新報10月3日記事の一部イメージ


昭和初期に初代の小野寺文雄さんが魚市場で商売を始め、2代目の昭夫さん(故人)が1965年ごろに妻の艶子さんと一緒に仲買を始めたそうです。

私が面白く感じたのは、屋号「マルマタ」の由来です。南町でちくわ製造をおこなっていた本家の「カネマタ」(小野寺又兵衛さん経営)から文字をとったと。〈又〉を共通にして、矩(かね)を丸(まる)にしたわけですね。直角のかね尺が矩です。このように、本家、分家で屋号を派生させていくということがよくおこなわれていたのでしょうね。

魚町で思い出すのは、カネジュウとカクジュウもたしか本家・分家の関係だったのではないでしょうか。カネダイ(佐藤家)とカクダイ(菅原家)がさかのぼってどうだったかはわかりません。

本家のカネマタさんがちくわを製造していたとのことですが、気仙沼の魚町坂口にあった私の実家の向かって右隣はカネサ/斉藤家でちくわをつくっていました。カネマタ、カネサ、カネジュウ、カネシメイチ、カネセン。気仙沼の〈カネ・グループ〉ともいえるでしょう(笑)。


つぎは10月11日掲載の第7回目〈フジミツ岩商〉さんです。

フジミツ

三陸新報10月11日記事の一部イメージ


屋号「フジミツ」は、富士山にちなんでいます。創業者の岩渕光男社長は33歳のときに鮮魚仲買・加工などの商売を始めました。しかし、その直前に腰のヘルニアを患い静岡市内の病院に入院したのです。

当時、歩行訓練を兼ねて外出した際に目にとびこんできたのが富士山。その雄大な姿に心が奮い立ったといいます。そして一時は深刻な病状だったそうですが完治し、独立を果たしたのです。屋号には「日本一の生鮮カツオ水揚げ港である気仙沼で一番になる」。屋号にはそんな決意も込めたそうです。

2001年、フジミツ岩商さんは気仙沼魚市場で最も生産カツオを買い付ける優良取引業者となり、以来、その座を守り続けているそうです。屋号に込めた思いを実現したのです。


マルマタさんもフジミツ岩商さんも、昭和の時代に創業しています。これまで紹介してきた会社にくらべて新しい屋号といってよいと思うのですが、ほかの屋号と同じものをつけるわけにはいきません。ですから、いろいろと苦労して屋号をつけたのではないでしょうか。しかしそれは、創業や独立という希望あふれる苦労だったことでしょう。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼 カネマタ フジミツ 屋号

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/66~67歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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