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一景嶋神社の祭典

9月22日の三陸新報に、一景嶋(いっけいじま)神社祭典の案内広告が掲載されていました。

一景島祭典
三陸新報9月22日掲載広告


案内文によれば、一景嶋神社の例大祭は大震災後は9月第四土・日におこなっていたそうですが、昨年度からは震災前に戻し、9月27日におこなっているそうです。案内文に、〈お下がりいたします〉とあるのは、神輿(みこし)の渡御、巡行のことを指しているのでしょう。

一景嶋神社については、このブログでも何度か書いています。先日は、一景嶋神社/一景島公園にある気仙沼ライオンズクラブが設置した皆鶴姫伝説の案内板のことを紹介しました。

本日は、2016年11月11日のブログ「大正5年の一景島」で紹介した画像を再掲します。1997(平成9年)の「気仙沼かほく」に〈港の守護神〉との見出しで掲載された一景島神社の写真です。

記事内容も再掲しておきます。

〈大正5年に撮影した。気仙沼市弁天町にある現在のホテル一景閣付近から、当時は海と大島の景観が広がり、すぐ前には一景島が浮かんでいた。一景島には「弁天様」と親しまれる一景島神社がある。昔から「港の守護神」として信仰を集めてきた。一帯は昭和30年に埋め立てられ、現在の一景島公園になった。しかし、一景島神社とともに、左の岸から架かる橋「神橋」は公園内に現在も残されている。(気仙沼市弁天町・斉藤徹さん所蔵)〉(引用は以上)

2016年のブログでは、この写真の所蔵者であるホテル一景閣の斉藤徹さんのことについても記しております。

2016年11月11日ブログ「大正5年の一景島」

一景嶋神社の主祭神は市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)です。宮城県神社庁のサイトでは、〈市伎島姫命〉と表記しています。同サイトの由緒はつぎのとおり。「往古より弁財天を鎮座すと伝えられているが、不詳。慶長16年の大津波で社殿、縁記が流失。金華山小金山神社と同一の弁財天を奉るとも伝えられている。別名「魚取島」とも言われた。」

慶長16年に起こった慶長三陸地震による大津波は、ウィキペディアの記述では田老や大船渡で最高20m前後の高さであったとも。気仙沼地区での被害も相当なものだったでしょう。江戸時代、第2代将軍 徳川秀忠の時代です。伊達政宗は地震当時に44歳。

慶長16年の津波で社殿が流失したとの話は初めて知りました。そしてそれが、東日本大震災からちょうど400年前のことであることにも大変驚きました。慶長16年10月28日は、1611年12月2日とのことです。

ちょっと話が長くなりました。一景嶋神社の神輿については、 明日のブログで記すことにいたします。
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ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼 一景嶋神社 一京閣

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/66~67歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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