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ブッツヤの修司君

きのうの目黒のさんま祭では大変楽しい時間を過ごすことができました。ここ数年は雨の心配などをしながらの開催でしたが、今年は天気に恵まれての開催となりなによりでした。写真の紹介などはまたあらためて。

さて、三陸新報の連載「わが社の屋号」第4回目の勝倉漁業さんを14日に紹介しましたが、本日は9月5日掲載の第5回目を。(株)カネシメイチさんです。私たちの同級生である小山修司君(3年5組)が昨年まで社長をつとめていました。今は相談役となっています。

カネシメイチ2
三陸新報9月5日掲載記事


6代目にあたる修司君によれば、カネシメイチの創業は1834年(天保5年)とのこと。年表を見てみると、新選組局長の近藤勇が生まれた年ですから、ずいぶん昔の話です。初代の小山吉内さんは、魚町で魚の塩蔵加工やかつお節などの商売をしていたそうです。その頃にはすでに〈荷印〉としてカネシメイチを使っていたとされています。

仏師だった2代目の𠮷五郎さんの時代に、仏具屋に転業しました。その名残(なごり)から、その昔は「ブッツヤはん」の愛称で呼ばれることが多かったといいます。懐かしい呼び名ですね。〈ブッツヤ〉は仏屋でしょうかね。記事では、〈その昔〉としていますが、私が小中学校生徒だったときにでも、魚町の年配の人がごく普通に〈ブッツヤ〉の名を呼んでいたように思います。当時、その名が仏師からきていることを聞かされて驚きました。

カネシメイチはその後、海運業に回船問屋、焼ちくわ製造の水産加工を経て、5代目の亀吉さんが1964年(昭和39年)に近海のカツオ一本釣り船「第3亀洋丸」(39トン)を建造して漁船漁業に乗り出しました。修司君のお父さんです。問屋業で縁のあった三重県のカツオ船関係者からノウハウを学んだそうです。

小山亀吉さんは、その長身の姿や声を今でも思い出すことができます。気仙沼漁協組合長をはじめ気仙沼の水産関連団体の要職をつとめましたが、震災の年2011年1月12日に亡くなりました。その2か月後に気仙沼は大津波に襲われました。魚町で育った私たちにはとても懐かしいあのカネシメイチの建物も被災。修司君の奥さん容子さん(5組)は、屋根の上に避難したのですが、自宅が浮いたのが分かったそうです。そのことはつぎのブログで紹介しました。

2015年3月20日ブログ「あの日を語り継ぐ」

その魚町のカネシメイチさんも今は鹿折地区の錦町に移りました。臼井弘君(4組)の〈福寿水産〉などと共に気仙沼鹿折加工共同組合に属しています。以前も紹介しましたが、この組合のサイトで修司君の素敵な笑顔を見ることができますので是非に。

記事の写真にうつる〈焼ちくわ〉の商標がいいですね。ちくわの梱包の箱や包みに貼ったラベルでしょう。「第3亀洋丸」の写真も時代を感じさせます。建造は修司君が小学6年生ぐらいのことではないでしょうか。修司君がこれらのラベルや写真を見るとき、自分が継承し、そしてまた次代に継いだカネシメイチの歴史を感ぜずにはいられないでしょう。

気仙沼鹿折加工共同組合サイト/(株)カネシメイチ

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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼 カネシメイチ 屋号

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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