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紫神社祭典ご案内

9月4日の三陸新報に気仙沼市南町/紫神社祭典の案内広告が掲載されていました。

紫神社
三陸新報9月4日掲載広告


紫神社〈紫さん〉は、南町から気仙沼小学校にのぼる坂道の左側にあります。その坂の名も〈紫さん〉。私たちが中学のころでも帰りに寄って遊んで帰るなどした場所なのでとても懐かしい。震災時には、集会所が避難所となっていました。

紫神社の社殿というか社屋自体は簡素なもので、宮司の常駐もありませんが、しっかりとした歴史をもつ神社です。宮城県神社庁の「神社検索」サイトでは、この神社の由緒をつぎのように記しています。以前もブログに書きましたが、気仙沼の柏崎(かしざき)だけでなく、紫神社も新潟県の柏崎と縁があることがこの由緒からわかります。


当神社は慶長10年、越後、柏崎の人、斎藤四郎兵衛和泉盛方が計仙麻(ケセマ)陣ケ保(現気仙沼市笹ケ陣)に移り住むとき屋敷内に紫明神と観音を勧請せしが五代又衛門の時火災にて御堂を焼失し、正保年中、六代又四郎が鼎ケ浦(気仙沼湾)海辺高台に屋敷を移し建てるとき、敷内に観音を祀り柏崎観音とした、故に今もその所を柏崎山と云う、また紫明神は地続きの西風釜(ナライガマ)鐙坂(アブミザカ)に鎮め祀りて分家に別当を命じた、今も分家斎藤家の屋号を別当と云う。紫明神の「むらさき」は斎藤家の家紋、藤の花の紫より名付けたと云う。昭和23年御社地を別当斎藤家より寄進され宗教法人紫神社となり、近辺、南町、柏崎地区を氏子とし、毎年の例祭はカボチャ祭りのむらさきさんと賑わっている。(カボチャ祭り)カボチャ(南瓜)まつりの起こりは定かではないが、言い伝えによれば、むかしはまつり師といって、祭りの山車等を作る職人がいた。紫明神の祭りに、そのまつり師の作った人形が境内に並べられたと云う、ところが江戸時代末期か明治時代初期のことか、折角準備した人形が火災により焼失したので、付近の若者たちが方々の畑より南瓜を集め来て、南瓜を頭にした人形を作り、境内に並べ飾ったことが大勢の人々の喝采を浴びたと云う、その時の美談や時代を諷刺したもの色々で、以来、祭りが近づくと、各地区の若者たちが出しものを秘密裡に作成しその出来栄を競った。現在も氏子地域、南町、柏崎青年会によって受け継がれている。(引用は以上)

紫明神は西風釜(ならいがま/南町の旧称)の鐙坂(あぶみざか)にまつられたとあるのですが、鐙坂が現在の紫神社の場所かどうかはわかりません。柏崎と地続きのという記述がありますが、ちょっと距離がありますよね。紫明神の「むらさき」は斎藤家の家紋である藤の花の紫より名付けたという話は以前も紹介しました。かぼちゃ祭についての説明も面白い。言い伝えで、祭の山車(だし)などをつくる職人〈まつり師〉がつくった人形を境内に並べたのが発祥とか。また案内広告には、名物〈紫まんじゅう〉の販売もあると書かれています。これも懐かしい。限定600袋だそうです。

震災後にオープンした仮設商店街は「南町紫市場」でした。そして昨年に本設としてスタートした商店街が「南町紫神社前商店街」。いずれもこの「紫神社」とのご縁を意識して名付けられています。9月8日の前夜祭・宵祭りでは、南町の中心街にて弘前ねぷたまつり運行も行われます。

なお、紫神社の主祭神は「屋船豊受姫大神」。〈やぶね とようけ ひめのおおかみ〉と読み、家屋守護の神様のようです。どうぞ南町紫神社前商店街に寄りながら、お参りくださいますように。


2015年4月16日ブログ「気仙沼と柏崎の縁」

 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼 紫神社

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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