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「わが社の屋号」 ①

7月21日の三陸新報には〈暑中特集〉という4頁構成の特集号が付されていました。そのなかに〈由来をたずねて~わが社の屋号〉と題する記事がありました。気仙沼港の船主、問屋、買い受け業者の屋号の由来、歴史を紹介するというこのシリーズ記事の第一回目は、カネダイさんと小野健商店さんです。

7月21日屋号-1

三陸新報7月21日特集記事より


これは楽しみな企画ですね。屋号そのもの、つまり呼称や標章といったこともそうですが、各社の歴史、創業当時の話などを知ることができるでしょう。本日はこの初回記事からカネダイさんと小野健商店さんの創業期の話などを引用、紹介します。

◎カネダイ

今から250年以上前に、気仙沼の回船(廻船)「春日丸」が嵐に遭い、中国・浙江省舟山(しゅうざん)市の桃花島に漂着しましたが、乗組員は現地の人たちから手厚い保護を受けて無事に気仙沼に帰ってきました。カネダイの佐藤亮輔社長は、その「春日丸」の船頭・伝兵衛の子孫にあたるそうです。江戸時代は江戸から帆船で当時の〈流行物〉を買ってきて、陸路で仙台や盛岡などに出荷したり、気仙沼で買い集めた海産物を船で江戸や上方に運ぶ回船業をおこなっていました。

屋号「カネダイ」は、1942(昭和17)年4具に、7代目で亮輔さんの父の佐藤正二さんが近海トロール船「宝生丸」を購入しして漁業経営に着手し、翌年には回船問屋業を始めたことをきっかけに、呼び名として使うようになりました。1955年には佐藤商店として株式会社としましたが、1997年9月には社名をカネダイに変更しています。

なお、記事に記載はありませんが、舟山市と気仙沼は、1986年3月に気仙沼漁協の視察団が漁場開発などを目的として舟山市を訪問するなど、市民同士での交流が進められてきました。そして両市は1997年10月に有効都市協定を締結しました。私の記憶では、震災前のエースポート2階のスペースには両市交流の歴史などを解説したパネルが展示されていたと思います。

◎小野健商店

小野健商店の屋号は〈マルヤマコ〉と呼ぶのだそうです。1916(大正5)年に初代の小野寺健之助さんが名付けました。創業当時は「小」の一文字でヤマは付いていなかったとか。創業時、18歳だった健之助さんは三陸沖に北上するカツオ一本釣り船団に着目。紀州の沿岸東部や高知県の西南地域の船主宅を何度も訪問して気仙沼への漁船誘致に奔走しました。

当初は高知に漁船に誘致に行っても相手にされなかったそうです。しかし、粘り強い交渉で信用を勝ち取り、昭和40年代にはいってようやく同県のカツオ船が本格的に気仙沼に入港するようになったといいます。現在の社長は、3代目の小野寺健三さん。昨年、2代目の父・昭一さんの後を継いで就任しました。現在は気仙沼魚問屋組合長もつとめています。

しかし、なんというか写真にうつる堂々とした金庫が素晴らしい。往事の気仙沼港の繁栄をものがたっているように感じます。かすかな記憶しかないのですが、南町の通りからも印象的なガラス戸越しにこの金庫を見ることができたような気がします。南町といえば、カネダイさんも以前は南町でしたよね。記事には〈川口町〉とあってちょっとアレッと思いました。

震災前には魚町の海岸通りは〈屋号通り〉とも呼ばれていましたが、今は残念ながら見るかげもありません。このシリーズ記事はどのような頻度で掲載されるのかわかりませんが、いろいろと楽しみです。初回記事には記者の三浦一樹さんの名が記されていました。取材も大変かと思いますが、この好企画に期待しています。
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 カネダイ 小野建商店 屋号

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/66~67歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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