豚のもの

先週のある日、夕食をとりながら妻がいいました。
「ブタノモノって覚えてる?」

妻はその日、「ミツバチの羽音と地球の回転」という映画を見てきました。瀬戸内海の山口県祝島。その島の豊かな自然の恵みや、対岸に計画されている原子力発電所に反対する人々の暮らしのドキュメンタリー映画です。

mitsubachi.jpg
同映画公式サイトより
http://jamcafejp.exblog.jp/13480044/


祝島はビワが特産物ですが、色が悪く出荷できないものは豚のエサにします。畑に放たれている豚は、フガフガいいながらそのビワをおいしそうに食べるのですが、その鼻先が畑の土を耕します。ナイスアイデア。そして家から出る野菜や果物の皮などの生ゴミも豚のエサにします。

そのシーンを見た妻の頭の中で次の式が成立。
生ゴミ×豚のエサ=豚のもの

私たちが気仙沼の小学生のころ、各家庭で出た肉や魚、野菜などの生ゴミは、容器にまとめて家の外に出しておきました。それを「豚のもの」と呼んでいたのです。そして私の記憶では、夜に養豚家のおじさんかおばさんがリヤカーを引いて家々を回って回収していくんだ。

そんな〈豚のもの〉を食べた豚は豚肉となります。そして魚町でいえば「白幡」や「亀山」などのお肉屋さんで売られ、料理となり、私たちの口に入りました。
〈持続可能な社会〉とか〈エコ〉といった言葉など聞いたこともなかった時代の話。

母「豚のもの、出してきてくれる」私「はーい」。
ALWAYS~魚町5区の夕日(笑)。
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

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懐かしいね

豚のもの・・・
私が二十歳まで住んでいた家は三日町の金澤肉屋の裏だったので、子供の頃、いつも肉屋さんに持って行きました。
裏の方にちょっと大きいボールがあって、そこに入れてくるのです。
子供の仕事でしたね。

先日のブログ、亨君のことでした。
あの時は、突然の訃報にびっくりしました。
亨君は仙台に住んでいたので、会うのはクラス会があった時くらいでした。

中二の時も同級生でした。
昔のことを覚えていない私は42の歳祝で森先生に会って、なぜかとても懐かしい思いがしていました。
亨君の話から同じ森先生のクラスだったことを聞かされました。
本当に記憶力のない私でした。

なぜか今、こんなことを思い出しました。

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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