西城健一君の詩集
気仙沼高校の同年生、西城健一君(気高3年2組)が18年ぶりに詩集「優しい雨」を発刊しました。4月21日の三陸新報が紹介しています。

三陸新報4月21日掲載記事
西城君はいま、気仙沼地域で詩誌「霧笛」を発行する「霧笛の会」の代表を務めています。詩誌「霧笛」は、1984年(昭和59年)に創刊され80号まで発行、第2期は2014年末に40号を発行して一区切り。そして2015年に創刊からの通巻121号を発行して再出発したのです。これについて、西城君が三陸新報に投稿した「霧笛121号の船出」という文章はこのブログでも紹介し、つぎの一文を引用しました。
〈 詩を一編書くことによって自分自身の何かの区切りにしたいと思うことがあります。寂しさ、悲しみ、孤独の中にいる時、このままでは駄目だと思いながらただ引きずって生きている時、そんな時、詩を書き、孤独の思いを書き綴ります。
書き終えて、本になり世に出ていくことで乗り越えたような気になります。また前を向いて生きて行けるのです。詩が人生の励みになり、羅針盤になり、いつしか体の一部にもなりました。〉
この投稿文のなかで西城君は、「霧笛」の同人であった故 熊谷康雄君(3年5組)のことについても触れています。
西城君として4冊目となる詩集「優しい雨」では、「季節」「震災」「人生」の各章合わせて52編が所収されているそうです。記事には詩集表紙の写真が掲載されていました。ちょっとはっきりしないのですが、左上にあるのは明日の晴天を祈る〈てるてる坊主〉でしょうか。そして6列の大小の点の連なりは、小さな文字のようにも感じられます。天から地へと降る雨滴は、西城君が日々つづる詩文かもしれません。雨水はやがて天に戻りふたたび新しい雨となります。この循環と同様に、西城君の日々の思いは詩としてつづられ、新しい日を迎えるための力となるのでしょう。
詩集「優しい雨」は100部発行されました。若干の余裕があり希望者には譲るとのことですので問合せは西城さんまで。電話番号は記事中に記載がありました。
2017年4月17日ブログ「再出港の「霧笛」」

三陸新報4月21日掲載記事
西城君はいま、気仙沼地域で詩誌「霧笛」を発行する「霧笛の会」の代表を務めています。詩誌「霧笛」は、1984年(昭和59年)に創刊され80号まで発行、第2期は2014年末に40号を発行して一区切り。そして2015年に創刊からの通巻121号を発行して再出発したのです。これについて、西城君が三陸新報に投稿した「霧笛121号の船出」という文章はこのブログでも紹介し、つぎの一文を引用しました。
〈 詩を一編書くことによって自分自身の何かの区切りにしたいと思うことがあります。寂しさ、悲しみ、孤独の中にいる時、このままでは駄目だと思いながらただ引きずって生きている時、そんな時、詩を書き、孤独の思いを書き綴ります。
書き終えて、本になり世に出ていくことで乗り越えたような気になります。また前を向いて生きて行けるのです。詩が人生の励みになり、羅針盤になり、いつしか体の一部にもなりました。〉
この投稿文のなかで西城君は、「霧笛」の同人であった故 熊谷康雄君(3年5組)のことについても触れています。
西城君として4冊目となる詩集「優しい雨」では、「季節」「震災」「人生」の各章合わせて52編が所収されているそうです。記事には詩集表紙の写真が掲載されていました。ちょっとはっきりしないのですが、左上にあるのは明日の晴天を祈る〈てるてる坊主〉でしょうか。そして6列の大小の点の連なりは、小さな文字のようにも感じられます。天から地へと降る雨滴は、西城君が日々つづる詩文かもしれません。雨水はやがて天に戻りふたたび新しい雨となります。この循環と同様に、西城君の日々の思いは詩としてつづられ、新しい日を迎えるための力となるのでしょう。
詩集「優しい雨」は100部発行されました。若干の余裕があり希望者には譲るとのことですので問合せは西城さんまで。電話番号は記事中に記載がありました。
2017年4月17日ブログ「再出港の「霧笛」」
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