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川島さんの再出発

3月24日に、目黒区民センター会議室で開催された「歴史探訪フォーラム」については、3月27日のブログで紹介しました。その冒頭の基調公演は、東北大学災害科学国際研究所教授をつとめる川島秀一(しゅういち)さんでした。フォーラムが終わって、川島さんと少し立ち話をしたのですが、〈3月末で退官する〉と聞いて大変驚きました。定年だというのです。私たちの一つ下の学年でいま65歳ですから、別に不思議な話ではないのですが。川島さんは〈まだ少し仕事が残っているけれど、落ち着いたらまた連絡します〉と。

おととい4月7日の夜、読売新聞が同日に配信したつぎの記事を知ってまた驚きました。

読売新聞

読売新聞4月7日配信記事の一部イメージ


川島秀一さんは、4月4日から福島県相馬郡新地町(しんちまち)の災害町営住宅に移り住み、漁師見習として新しい暮らしを始めたというのです。きっかけは、新地町の漁師の小野春雄さん(66)と、昨年12月に知り合ったこと。移住を勧めた小野さんは「秀(しゅう)ちゃんは新地の宝。みんな話を聞くのを楽しみにしているし、漁を手伝ってくれればなお助かる」と話しているそうです。

記事では川島さんの言葉をつぎのように紹介しています。〈これまで研究者として観察してきたが、「いつも『何の役にも立っていない』というもどかしさがあった」という川島さん。シラウオ漁の初日を終え、「実際に自分の手を動かしてみると、聞き書きとはまた違って勉強になる。一緒に浜で暮らし、同じ空気を吸ってみて、震災で漁の仕事がどう変わったのか、じっくり見てみたい」と語った。〉

この川島秀一さんの転身の背景には、やはり東日本大震災があるのでしょう。震災時の川島さんは、たしかリアス・アーク美術館の副館長でした。その後、神奈川大学特任教授/同大付属「日本常民文化研究所」に属したあと、東北大学に迎えられました。仙台では東北大学の教員住宅に。そして今度は福島県新地町の災害町営住宅。私はそこに、なんといったらよいのかある種の〈身軽さ〉を感じます。

震災時の大津波は、魚町のホテル望洋の下方にあった実家を襲い、そこにあった川島さんの蔵書や文献類のほとんどは流失したのです。研究者としての絶望の深さは私たちの想像を超えるものだったでしょう。しかし、今回の〈漁師見習い〉としての再出発を知ると、なにかを失うこと、捨てることでしか得られない新しい世界というのが確かにあるのだろうなと思わずにはいられません。そしてまた、川島さんが震災の津波でお母様を失っていることを思い出さざるを得ないのです。

読売新聞の記事の末尾には、4月7日に福島県新地町で小野さんの新造船の進水式があり、川島さんが司会を務める予定であると記してありました。この日は、新造船 第18観音丸の進水だけでなく、川島秀一さんの新地町での船出を祝福する日にもなったことでしょう。

秀一さん、今回の新しい出発を、私や気仙沼の人達も含め多くの人が喜び、応援していることと思います。また会いましょう。

2012年5月25日ブログ「川島秀一さん2」
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気仙沼中学 川島秀一

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/66~67歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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