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森は海の恋人30年

3月5日(月)の読売新聞夕刊に、畠山重篤さんらの〈森は海の恋人〉活動が30年目を迎えるとの大きな記事が掲載されていました。

読売新聞

読売新聞3月5日記事の一部イメージ


記事はつぎのリード文で始まります。

〈宮城県気仙沼市で養殖漁業を営む畠山重篤さん(74)らが「森は海の恋人」を合言葉に植林活動を始めてから、今年で30年目を迎える。森を豊かにして海に栄養分を行き渡らせ、好漁場を作る取り組みで、植えた木は5万本以上。東日本大震災を経てもなお続けられ、植林のモデルとして国内外に広まっている。〉

その後、40年ほど前に川から流れ込む生活排水や農薬で赤潮にまみれた湾の話が続きます。多くの海水を吸い込むカキも赤く色が付き、「血ガキ」と呼ばれ、廃棄処分されたそうです。

〈「漁師は森、川、海と続く自然の中でしか生きられない」。畠山さんが出した答えは「陸(おか)に上がる」ことだった。気仙沼湾に注ぐ大川上流にある岩手県一関市の山で1989年、漁師仲間とブナやコナラなどの広葉樹を植え始めた。県境をまたいだ取り組みのため公的援助は受けられず、仲間と資金を出し合って始めた。効果は徐々に表れ、カキの収穫量が上がった。サケが戻り、しばらく湾で見られなくなったウナギも現れるようになった。〉

そして、2011年の大震災。養殖いかだが流され、活動の背中を押してくれていた母の小雪さんも亡くなりました。しかし、震災の2か月後、湾の水質を調査した京都大の研究チームが「カキが食べきれないほどの植物プランクトンがいる」と教えてくれました。その年にカキ養殖を再開すると、豊漁になったといいます。

30年目の植樹祭は6月3日。畠山さんは「人々の意識を高める、つまり『人々の心に木を植える』ことも大きな目的。次の世代に豊かな海を残すため、今後も続けたい」と話しているそうです。

記事の注釈に「森は海の恋人 」の簡潔な説明がありました。〈森の土壌に含まれる養分が川を通じて海に注ぎ、プランクトンを育てて魚や貝などに恵みをもたらすとして、1989年に始まった植林活動。2009年に同名のNPO法人が設立された。理事長の畠山重篤さんは2012年、国連の「フォレストヒーローズ(森の英雄)賞」の初代受賞者となった。〉

気仙沼の人たちは、畠山重篤さんや〈森は海の恋人〉のことをよく知っているはずです。しかし、こうした30年にもおよぶ活動の意味や価値をうまくほかの人に伝えることができるかどうかというのは別の問題。こうして読売新聞さんがうまくまとめて紹介してくれたことを大変うれしく思いました。記事をまとめてくださった中根圭一さん、ありがとうございました。

〈森は海の恋人〉活動が30年か。重篤さんが44歳のときに始めたのですね。今でこそこうして高い評価を受けていますが、活動開始初期など、決して順風に恵まれていたわけではないでしょう。逆風もあったと思う。こうした記事を読むとき、そうしたときの重篤さんらの気持ちはどんなだったのかとつい想像してしまうのです。

国連の「フォレストヒーローズ賞」受賞については、つぎのブログにて。

2012年2月14日ブログ「国連の畠山さん」
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 森は海の恋人 畠山重篤

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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