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気仙沼駅の渡線橋

2月3日(土)の三陸新報に、気仙沼駅のシンボルがその役目を終えて姿を消すとの記事が掲載されていました。

渡線橋

三陸新報2月3日記事の一部イメージ

渡線橋(とせんきょう)という言葉は初めて知りました。跨線橋(こせんきょう)という言葉のほうになじみを感じます。それはともかくも、あの気仙沼駅の渡線橋の撤去工事が1月30日に始まったとのこと。

渡線橋の建設時期は正確にはわからないとのことですが、記事では、大船渡線が開業した1929年から使われている駅舎本体と同じ年代と考えられるとしています。

震災後、駅構内にBRT(バス高速輸送システム)が乗り入れるようになってからは、1、2番線がバス専用道となりました。そして、大船渡線が発着する3、4番線には横断歩道を使って往来するようになり、渡線橋は閉鎖されていたそうです。工事は3月中旬までに終了する予定。

記事には、利用者の〈思い出が多く、寂しい限り〉という声が紹介されていました。私もいろんなことを思い出します。小学校低学年のころは、夜の9時半ごろに気仙沼に着く〈むろね号〉で出張から帰ってくる父を迎えに駅に行きました。

改札出口は、駅舎に向かって右側にありました。到着時刻が近づくと、駅員さんが来て出口のチェーンをはずします。列車が到着しても、車両の向こうの降車客の様子は見えません。そのうちに渡線橋の階段を降りてくる人が増えてきて、その中に父の姿を見つけます。父が玩具などのおみやげをぶら下げていれば万々歳。構内で待っていてもらったタクシーに父を引っ張っていき一緒に家に帰ってきたのです。

こうして50数年前のことを思い出してみると、自分だけでなく、父の気持ちも想像してしまいます。降車して渡線橋をのぼり右に歩いて階段を降りていくとき、一体どんな気持ちだったのだろう。その視線の先には、笑顔で待つ幼い私がいたはずです。気仙沼駅の渡線橋は撤去されてしまいますが、あの階段を降りてくる父の姿は、私の記憶のなかにこれからも残っていくことでしょう。
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気仙沼中学 気仙沼駅

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悲しい事

私達のふるさと“気仙沼”が、ひとつふたつと無くなって行きます。後になってその悲しみがじわじわ湧いてくるケースが増えています。出来る事ならそれを留めて、1000年も先の未来の我々の子孫に伝え続けていけるといいなぁと思っています。私たちがこの町で生きた証として。もちろん震災の教訓も、津波の怖さもしっかりと語り継ぎますよ。先人が繋いでくれたものは、しっかり繋いでいくのは、この時代に生きる私たちの責任。その責任をちゃんと果たすべく、今、みんなで頑張っています。これからも皆さんと共に在りつづける気仙沼。あ~なんて素晴らしい町なんだろう。大好きだよ~。

Re: 悲しい事

コメント、ありがとうございました。高校卒業後に気仙沼を離れましたので、記憶のなかにある気仙沼の風景はかなり古くなっているかもしれません。昨年、魚町や南町界隈を歩いたとき、とても不思議な感覚がありました。新しい街がどのようにできあがっていくのか、不安と期待もって見守っております。今後ともよろしくお願いいたします。
プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/66~67歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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