大谷防潮堤の着工
1月20日、気仙沼市本吉町の大谷海岸地区の防潮堤など復興事業着工式が行われました。着工式の様子を伝えた21日の河北新報や三陸新報には、宮城県提供の防潮堤完成イメージ図を紹介していました。県の公式サイトを調べてみると、2017年7月25日付け「大谷地区海岸防潮堤整備計画」住民説明会資料のなかにそのイメージ図がありましたので紹介します。



1枚目が河北新報と三陸新報の記事で紹介されていたものです。2〜3枚目は、大谷海岸の夏の海水浴利用のイメージといったところでしょう。
大谷海岸の防潮堤計画についてはこのブログでも紹介してきましたが、その概要について河北新報1月21日配信記事を一部引用して紹介します。
「 東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市本吉町の大谷海岸地区で、宮城県が海抜9.8mの防潮堤を整備し、気仙沼市が背後地に「道の駅」をつくる復旧工事が20日、始まった。砂浜が失われるとして、県が当初計画した防潮堤は住民が反対し、見直しを実現させた。位置を内陸に移し、国道との「兼用堤」とする工事は2020年度に完了し、21年度には海水浴場が再開する。
防潮堤(長さ約6810m)は見た目の高さが6~7メートル。国道の約980m区間を9.8mまでかさ上げして防潮堤の役目も持たせる。海側は緩やかな傾斜で階段を付け、海水浴客が休憩できるようにする。事業費は約55億円を見込む。市は背後地約4.0ヘクタールを防潮堤と同じ高さにかさ上げし、道の駅「大谷海岸」を復旧させる。事業費は25億円で20年度内の完成を目指す。」(引用は以上)
大谷海岸は、高校や大学時代の帰省時に中井殖君(3年8組)とよく行きました。中井茶舗の配達用軽4輪にのせてもらって。それだけに、地元の皆さんの努力で防潮堤計画が見直され、このたびの工事開始となったことをうれしく思っています。2021年夏の大谷海水浴場再開を目指しているとのことです。
河北新報の記事によれば、大谷海水浴場は環境省の「快水浴場百選」にも選ばれ、震災前の2010年には約6万5000人が訪れたそうです。そしてピーク時の1975年には約43万5000人でにぎわったとも。その1975年の43万5000人のうちのひとりは私です(笑)。
2017年11月16日ブログ「読売の防潮堤記事」



1枚目が河北新報と三陸新報の記事で紹介されていたものです。2〜3枚目は、大谷海岸の夏の海水浴利用のイメージといったところでしょう。
大谷海岸の防潮堤計画についてはこのブログでも紹介してきましたが、その概要について河北新報1月21日配信記事を一部引用して紹介します。
「 東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市本吉町の大谷海岸地区で、宮城県が海抜9.8mの防潮堤を整備し、気仙沼市が背後地に「道の駅」をつくる復旧工事が20日、始まった。砂浜が失われるとして、県が当初計画した防潮堤は住民が反対し、見直しを実現させた。位置を内陸に移し、国道との「兼用堤」とする工事は2020年度に完了し、21年度には海水浴場が再開する。
防潮堤(長さ約6810m)は見た目の高さが6~7メートル。国道の約980m区間を9.8mまでかさ上げして防潮堤の役目も持たせる。海側は緩やかな傾斜で階段を付け、海水浴客が休憩できるようにする。事業費は約55億円を見込む。市は背後地約4.0ヘクタールを防潮堤と同じ高さにかさ上げし、道の駅「大谷海岸」を復旧させる。事業費は25億円で20年度内の完成を目指す。」(引用は以上)
大谷海岸は、高校や大学時代の帰省時に中井殖君(3年8組)とよく行きました。中井茶舗の配達用軽4輪にのせてもらって。それだけに、地元の皆さんの努力で防潮堤計画が見直され、このたびの工事開始となったことをうれしく思っています。2021年夏の大谷海水浴場再開を目指しているとのことです。
河北新報の記事によれば、大谷海水浴場は環境省の「快水浴場百選」にも選ばれ、震災前の2010年には約6万5000人が訪れたそうです。そしてピーク時の1975年には約43万5000人でにぎわったとも。その1975年の43万5000人のうちのひとりは私です(笑)。
2017年11月16日ブログ「読売の防潮堤記事」
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア