日の出と夢の架橋
1月1日の三陸新報元旦号はさまざまな特集記事が掲載されていました。その中のシリーズ企画「私と大島大橋」第1回目の写真がすばらしかった。

三陸新報1月1日掲載記事の一部イメージ(クリックで拡大)
気仙沼大島大橋と日の出。まさに新年元旦にふさわしい光景。この記事は「私と大島大橋〜完成まで1年」〜思いを寄せる人たち〜というシリーズの第1回目。〈浦島会〉会長の小野寺好子さん(79)がその思いを語っています。
小野寺さんは〈鹿折の二ノ浜(梶ヶ浦)から大島に嫁いで57年。目と鼻の先にある対岸の生家は、いつも遠い存在だった〉そうです。〈電話がない時代。自分と同じように対岸から大島に嫁いだ女性たちは、実家に帰る際、亀山地区の小高い丘から対岸に向かって大声で親を呼び、小舟で迎えに来てもらった---という逸話もある〉とのこと。
そして1996年(平成8年)、同郷の二ノ浜、三ノ浜(鶴ヶ浦)、小々汐(こごしお)、大浦出身者25人で「浦島会」を結成し、架橋の早期実現を訴える活動を始めました。初代会長は、浦の浜食堂の小松正三さん(故人)。
大島大橋は、昨年3月に仮設されましたが工事完了は来年3月末となります。このシリーズ記事では、〈夢の橋〉の開通を願い、長年、促進運動に汗を流してきた人たちを紹介するとのことです。初回の末尾に三陸新報記者 三浦一樹さんの名が記されていました。
大島大橋と日の出の写真のすばらしい写真と架け橋を願った人たちの思い。元旦にふさわしい気持ちのよい記事であると感じました。

三陸新報1月1日掲載記事の一部イメージ(クリックで拡大)
気仙沼大島大橋と日の出。まさに新年元旦にふさわしい光景。この記事は「私と大島大橋〜完成まで1年」〜思いを寄せる人たち〜というシリーズの第1回目。〈浦島会〉会長の小野寺好子さん(79)がその思いを語っています。
小野寺さんは〈鹿折の二ノ浜(梶ヶ浦)から大島に嫁いで57年。目と鼻の先にある対岸の生家は、いつも遠い存在だった〉そうです。〈電話がない時代。自分と同じように対岸から大島に嫁いだ女性たちは、実家に帰る際、亀山地区の小高い丘から対岸に向かって大声で親を呼び、小舟で迎えに来てもらった---という逸話もある〉とのこと。
そして1996年(平成8年)、同郷の二ノ浜、三ノ浜(鶴ヶ浦)、小々汐(こごしお)、大浦出身者25人で「浦島会」を結成し、架橋の早期実現を訴える活動を始めました。初代会長は、浦の浜食堂の小松正三さん(故人)。
大島大橋は、昨年3月に仮設されましたが工事完了は来年3月末となります。このシリーズ記事では、〈夢の橋〉の開通を願い、長年、促進運動に汗を流してきた人たちを紹介するとのことです。初回の末尾に三陸新報記者 三浦一樹さんの名が記されていました。
大島大橋と日の出の写真のすばらしい写真と架け橋を願った人たちの思い。元旦にふさわしい気持ちのよい記事であると感じました。
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア