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「公立病院」の歴史

きのうのブログで紹介した三陸新報11月2日の記事には、市立病院の沿革が掲載されていました。

病院沿革
三陸新報11月2日記事より

この沿革から主要事項を抜粋し、一部を補足して紹介します。

◎明治13年5月
宮城病院気仙沼分局として気仙沼町(現気仙沼市八日町)に開設
◎明治17年10月
宮城病院の廃止に伴い、本吉郡立気仙沼病院となる
◎昭和7年11月
気仙沼町笹が陣(河原田)に新築移転
◎昭和28年6月
1市5村(気仙沼市、唐桑村、大谷村、階上村、新月村、大島村)の組合病院となる
◎昭和30年4月
1市2町(気仙沼市、唐桑町、本吉町)の組合病院となる
◎昭和39年5月
気仙沼市田中に新築移転。公立気仙沼総合病院に改称する
◎平成18年3月
気仙沼市、唐桑町の合併で気仙沼市立病院となる
◎平成22年8月
市が新病院の基本構想・基本計画を策定
◎平成26年9月
新病院新築移転工事着手
◎平成29年4月
新病院完成
◎平成29年11月
新病院外来診療開始

昭和28年から昭和39年までに〈組合病院〉という言葉が登場します。気仙沼市単独の市立病院ではなく、あくまで1市5村や1市2町で構成する組合による病院経営だったということでしょう。しかし、昭和27年3月生まれの私は〈組合病院〉という呼称を聞いたことがありませんでした。

私達の世代にとっては小さな頃から〈公立病院〉です。さらに略して〈公立〉。〈どごさ行ぐの?〉と問われて、〈公立さ/公立病院へ〉みたいな(笑)。

その〈公立〉は、河原田(かわらだ)の今は(小さな頃に電話局と呼んでいた)NTTが建っている場所にありました。入口に向かう左付近には〈大鍋屋旅館〉の別館があったと思う。病院のちょっと奥に入ったところには、2階への階段ではなく、板張りのなだらかなスロープがあったように記憶しているのですが。

この河原田時代の公立病院の写真がないかと思い、「目で見る気仙沼の歴史」を開いてみたら、ちゃんと紹介されていました。これについてはあらためて紹介することにしましょう。本日は〈公立病院〉という名の懐かしさのみ記して、おしまいにします。

11月6日ブログ「市立病院診療開始」
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気仙沼中学 市立病院 公立病院

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Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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