FC2ブログ

明治末の内湾風景

きのう17日に開催された〈目黒のさんま祭〉の話は明日にして、本日は9月15日のブログ「明治時代内湾風景」の続きです。前回は「明治時代の内湾風景」とされる写真の撮影時期を推測してみました。もう一度掲載しておきましょう。

内湾市外全景
「気仙沼 港まち恋人スクエア 散策ガイド」より(クリックで拡大)

この写真中央の五十鈴神社左側には遠間章次氏経営の缶詰工場がうつっていますが、「目で見る気仙沼の歴史」(1972年刊)の〈明治44年の気仙沼内湾〉という写真には、同じ缶詰工場がうつっていないことが不思議だったのです。その、「目で見る気仙沼の歴史」の写真頁を紹介します。

明治44年の内湾
「目で見る気仙沼の歴史」より(クリックで拡大)

説明文の最後につぎの記述があります。「この明治44年の港内写真を見ると、右手に郡立水産学校。手前に大堀下流(いまの漁協付近)が写っている」。

この大堀下流、つまり三日町や八日町を経て流れていた大堀の内湾への流出口が、冒頭の「明治時代の内湾風景」にはうつっていません。そして風景がかなり違います。これらの情報を総合して〈明治時代であれば明治末。大正はじめという可能性もありますが、その場合でも大正4年の大火以前でしょう〉と前回は書きました。

正直なところ、よくわかりませんね。「目で見る気仙沼の歴史」の写真の明治44年撮影という記載が誤りであることも考えられるのです。しかしそれ以前でも、郡立水産学校の落成が明治40年であることを考えるとさほど前のことではないでしょう。このふたつの写真の撮影時期の確定には新たな判断材料が必要かと思いますが、今や郷土史研究家でもある私(笑)にとってはとても面白いテーマです。

話は変わります。前回のブログ紹介ツイートに気仙沼の千田基嗣さんから返信をいただきました。

「この散策ガイドと、もともとの内湾の観光解説板は、私が観光課時代に担当して作製したもの。文章は、川島秀一現東北大学教授と私が分担して書いて、私がアンカーマン的に統一し、イラストは山内宏泰にお願いした。震災後は、五十鈴神社境内の、猪狩神社の解説板の一枚のみが残っています」

気仙沼図書館や本吉図書館の館長もつとめた千田基嗣さんの、気仙沼市観光課時代の仕事だったのですね。それと猪狩神社の解説板が震災後も残ったと。たしかに、猪狩神社はお神明さんの浮見堂近くの階段をのぼったところにあります。そう言われてみると、震災の年5月に気仙沼を訪れたときの五十鈴神社をおまいりしたときを思い出します。石柱などが倒れロープなどが張ってあったものの、同じ境内にある猪狩神社に大きな損傷はなかったように見えました。

そんないろんなことを考えると、明治時代の写真にうつる五十鈴神社/神明社/お神明さんの〈鎮守の森〉は、今でも大きく変化することなくそこにあります。とてもありがたく、これからもそこにあり続けて欲しいとあらためて感じました。

9月15日ブログ「明治時代内湾風景」

「目で見る気仙沼の歴史」については、つぎのブログにて。
2016年12月8日ブログ「気仙沼の歴史復刻」
スポンサーサイト



テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 目で見る気仙沼の歴史

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

最近の記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
RSSリンクの表示