明治時代内湾風景

今週は新聞記事の紹介が続いたので、本日はちょっと趣向を変えましょう。〈明治時代の内湾風景〉です。

内湾市外全景
「気仙沼 港まち恋人スクエア 散策ガイド」より(クリックで拡大)

これは、気仙沼市観光受け入れ態勢整備推進協議会が12年前の2005年3月に制作した「気仙沼 港まち恋人スクエア 散策ガイド」に掲載されていた写真です。このガイドは、A2サイズの用紙両面に印刷して折りたたみ、A4判8頁に相当する内容となっています。なかなかの力作です。私がいつ入手したのかおぼえていないのですが、お盆の帰省時にもらったのでしょう。表紙部分はこんな感じです。

恋人スクエア

ガイド発行当時、内湾17カ所にイラスト付きの〈港まち恋人スクエア〉解説板が設置されていました。散策ガイドはその内容を再構成し、解説を詳しくしたものと思われます。イラストは、リアス・アーク美術館の山内宏泰さんによるものです。この解説板は、震災時の津波で被災し今はもうありません。

冒頭に紹介した写真は、ガイド中の⑨「内湾の歴史」部分に掲載されています。私はこの写真に見覚えがありました。2016年2月13日から3月21日まで東京の目黒区美術館で開催された「気仙沼と、東日本大震災の記憶 ―リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史」展で、ガラスケースの中に何点か置かれていた写真の一枚だと思います。初めて見る写真でした。静かできれいな内湾の原型イメージを見るような思いがしたものです。とてもいい写真。現在も、リアス・アーク美術館の常設展に展示されているのではないでしょうか。

写真下部には小さな文字でつぎのように記されています。「宮城懸氣仙沼港内及市街全景」。〈富田本店製〉の文字もありました。富田本店は絵葉書や地図なども発行していましたので、そのひとつでしょう。タイトルやシリーズ数字が2つあるところをみると、2枚の写真を合成しているのでしょうか。

ガイドのキャプションには〈明治時代の内湾風景〉とありました。明治のいつごろだろうかと興味がわいてきます。うつっている建物がヒントになりますね。右手の柏崎(かしざき)下の建物は本吉郡立水産学校(明治40年落成)。左手前に少し大きな船が停泊しているのは、三陸汽船の桟橋だと思います。

写真中央の神明神社の左側には遠間章次氏経営の缶詰工場がうつっています。これがちょっと気になるのです。「目で見る気仙沼の歴史」の〈明治44年の気仙沼内湾〉という写真(P91・92)には、遠間の缶詰工場はなく、以前の漁協前あたりには三日町や八日町を流れていた大堀の湾への流出口がうつっています。しかし、散策ガイドの写真には見当たりません。以上の情報を総合すると、明治時代であれば明治末。大正はじめという可能性もありますが、その場合でも大正4年の大火以前でしょう。

〈港まち恋人スクエア 散策ガイド〉からずいぶんと話がとんでしまいました。〈気仙沼の歴史散策〉ということでお許しいただければと。どうぞよい週末を。
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ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 港まち恋人スクエア

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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