60年前の港まつり

今年の気仙沼みなとまつりは、8月5・6日に開催されました。第66回だったとのこと。本日は、約60年前のみなとまつりの写真を紹介します。2006年9月12日の三陸新報「昭和の記憶/漁船写真展」シリーズの記事。

1955年みなと祭
三陸新報2006年9月12日記事

上の写真は〈一本釣り実演〉。解説を引用します。〈8月の「気仙沼みなとまつり」。かつては、カツオ船が内湾に登場し、乗組員が船のボースビットにならんで、カツオ一本釣りの実演を見せてくれた。船は第8八千代丸。写真は1958(昭和33〉年撮影とみられる。

下の写真は〈みなとまつり〉。〈1955(昭和30)年ごろの「気仙沼みなとまつり」。場所は現在のエースポート前の魚町通。おそろいの着物で「気仙沼音頭」を踊り、港の繁栄を祈る。暑い最中、観客は日傘を差しながら祭りの気分に酔いしれた。〉(引用は以上)

いずれも1950年代、約60年前のみなとまつり風景です。カツオの一本釣りもありましたが、突きん棒漁の実演も懐かしい。エンジンを大きく吹かせるとエントツから黒い煙があがって船を大きく傾かせながら舵をきりました。見せ場をつくっていたのでしょうね。

下の写真にうつる建物の右端は〈日冷〉(日本冷蔵)、まんなかあたりの建物の屋根には〈足利〉の看板が。うつってはいませんが、これらの建物の右の方に〈かもめ食堂〉があったはずです。

なお、解説文に〈気仙沼音頭を踊り〉とありましたが、撮影が1955年頃であれば、これは誤りです。以前も書きましたが、〈気仙沼音頭〉は1968(昭和43)年のみなとまつりで披露されました。1950年代であれば、たぶん〈花笠踊り〉でしょう。

解説を書いている熊谷大海さんは、私たちより6学年下の気中26回生ですので、1957〜58年生まれ。この写真を見て〈気仙沼音頭〉と勘違いしたというのはとてもよくわかります。私の記憶でも、〈気仙沼音頭〉はずいぶん小さなころからあったように思っていました。先日のブログでも書いたように、高校2年のときと知ってとても驚いたのです。

この勘違いは、〈みなとまつり〉と〈気仙沼音頭〉の記憶の強い結びつきによるもの。昭和の気仙沼の音の記憶といったところでしょう。

8月4日ブログ「気仙沼音頭の記憶」
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tag : 気仙沼 気中20 みなとまつり 気仙沼音頭 三橋美智也

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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