中納言神社の再建

8月18日の三陸新報に〈香久留ケ原「中納言神社」を再建〉との記事。〈香久留ケ原〉も〈中納言〉も、私たち気仙沼高校の同窓生にはなじみ深い名前です。

8:18中納言神社
三陸新報8月18日掲載記事の一部イメージ

記事を引用します。

〈気仙沼市九条の羽黒神社の関係者らが、気仙沼高校そばに鎮座する「中納言(ちゅうなごん)神社」の再建を進めている。祭られているのは、約1200年前にこの地に館を構え、地域の発展に心を砕いたとされる三位中納言昭次(あきつぐ)卿だ。「中納言」は、男子校時代の気仙沼校高校の校歌にも出てきており、関係者は地域の歴史を後世に伝えたいと願っている。

嵯峨天皇時代(809〜822年)に相模の国司だった昭次卿(あきつぐきょう)は、豪族の娘・玉姫と結婚して息子を授かった。しかし、玉姫に思いを寄せていた有力者の陰謀によって隠岐の国に流され、妻子も襲撃を受けて消息不明になったとされる。

その後、朝廷より許された昭次卿は新たな認知である陸奥を目指し、「香久留ケ原」に館を建設。現在の羽黒神社の社地に観音像を祭り、妻子の無事と再会を一心に願った。そのかいあってか、気仙の髙田(陸前髙田市)で「しもべ」になって農作業をする妻子と再会。昭次卿は感謝の気持ちをもって羽黒神社を興したとされる。

地域の発展に力を尽くした昭次卿を祭る中納言神社は、もともと屋敷跡とされる気仙沼高校敷地内にあったが、校舎建設やグラウンドの拡張で転々とし、校舎東側の現在地に。造りもコンクリート製の小さな祠(ほこら)になっていた。

祠は東日本大震災の地震で損傷したこともあり、羽黒神社関係者らが再建を決定。県も学校と神社の縁の深さなどから、神社周辺を同神社の“飛び地境内”とした。工事は6月から進められ、お宮をはじめ、鳥居や石碑の設置もほとんどが完了した。ご神体は現在、羽黒神社で保管しており、9月以降に神事を行って新たな神社に納める予定だ。〉(引用は以上)

記事に〈中納言〉は〈男子校時代の気仙沼校高校の校歌にも出て〉いるとありました。その一番の歌詞をつぎに。文化祭はたしか、〈香久留ケ原祭(かくるがはらさい)〉でしたね。

1.遠くは雲居の室根山/高さを学べと聳えたり/近くは蒼波の鼎浦/清さを習えとたたえたり/うまし自然を海山を/四方にあつめて中納言/香久留ケ原に聳え立つ/我が高校に栄えあれや

三陸新報の記事で、羽黒神社の菅原秀絃宮司のコメントが紹介されていました。〈これまでは祠の存在を知らない地域住民もいた。立派になった神社を通して地名の由来や歴史、地域の発展に尽力した昭次卿を知ってもらえれば〉。同感。

〈中納言〉はお公家さんで、気仙沼の言葉に妙に丁寧なものいいがあるのは、その人の関係であると聞いた覚えがあります。しかし、この〈中納言神社〉の由来をきちんとはしりませんでした。それだけに、今回の神社再建はとてもよいことだと感じました。関係者の皆様のご努力に敬意を表したく、紹介させていただきました。

なお、気仙沼高等学校同窓会50年史「時は流れて」に、昭和2年の中納言神社遷座式の写真がありました。この紹介は明日にでも。

2015年7月10日ブログ「気仙沼高校 校歌」
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tag : 気仙沼 気中20 香久留ケ原 中納言神社

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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