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世界の唐桑物語

12月8日発売の雑誌『世界』(岩波書店)1月号から、気仙沼市唐桑に関する5回にわたる新連載が始まりました。

「唐桑物語~海と生きる100年の知恵」。筆者は、瀬戸山玄(せとやま・ふかし)さんです。瀬戸山さんには、これまでも『唐桑・海と森の大工』(INAX出版)という唐桑関連の著書があります。

この連載を岩波書店のウェブサイトではつぎのように紹介しています。
「宮城県北端、三陸沿岸に小さく突き出た唐桑半島は、大小合わせて30近くの入り江をもつ。海と森に恵まれたこの地では、魚や鉄、船にかかわる生業(なりわい)がいくつも育まれていた。歴史を振り返りながら、時間とともに積み重ねられてきた一つ一つの技と記憶を、全5回にわたって、丁寧に紹介する」

連載の第1回目は「里海の木造船大工」ということで、宿浦の大原造船所の船大工である岩渕文雄棟梁の話です。

岩淵さんは、気仙沼・唐桑地区で最後の船大工といわれた方です。畠山重篤さんの三隻の木造和船「あずさ丸」も岩淵棟梁の手によるものであることは畠山さんの著書にも書かれています。
2004年にINAXギャラリーで開催された「唐桑・森と海の大工展」という展示会では岩渕さんを招いてのイベントも行われました。当時かなり話題になり、私もぜひ行こうと思いながらも見のがしてしまいました。瀬戸山さんの著書『唐桑・海と森の大工』は、同展の図録として発刊されたものです。この展示会は大変すぐれた内容なので、あらためて紹介します。

岩渕さんについては次回にかけて詳述されるようで、今号の前半では、海と森に恵まれたこの地の漁業史が語られます。内容は雑誌をお読みいただくことにいたしますが、なるほどと思った話をひとつだけ。

気仙沼湾には、鹿折川と大川が大量の真水と堆積物を山から運びこみ、かつては広い干潟(ひがた)があったそうです。そして地名「気仙沼」の「沼」はこの干潟にちなんだものだというのです。
「気仙沼」の語源は、アイヌ語の「けせもい」由来ほか諸説あるようで、「鼎が浦」が沼のように見えたためという説は私も聞いたことがあります。海がなんで沼なんだと思っておりましたが、「干潟」があったと聞いて納得できました。

この連載記事の今後にも期待したいと思うのですが、収録されている地図(164頁)には問題があるようです。「南三陸町」という地名記載があるので現時点での地図と思ってみると、「気仙沼町」「陸前高田町」「石巻町」「女川町」などと記してあります。たぶん時代が混乱しているのでしょう。筆者・編集者はすでに誤りに気づいているとは思いますが、念のため確認を求めておきましょう。

『世界』の唐桑物語。ぜひに。
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No title

あの地図には驚きました。
文章がよかっただけに、なおさらです。
地名だけでなく、位置関係も滅茶苦茶で。
岩波は、その辺はしっかりしてたんですがね・・・

Re: No title

斎藤さん、コメントありがとうございました。
地図の件は岩波書店の担当者に連絡をさしあげ、次号にて訂正するとの丁寧な返信を受けております。地図ってのはなかなか大変なんだけどね。それだけに、「世界」であればしっかりとやって欲しいとの気持ちで書きました。
プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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