焼き場に立つ少年

きょう8月15日は終戦の日。先週から今週にかけては、新聞やテレビでも太平洋戦争をとりあげる番組や記事が多く見られます。本日紹介するのもそのひとつ。8月9日に朝日新聞が配信した記事の写真です。よく知られている「焼き場に立つ少年」。


朝日新聞8月9日配信記事より

記事を引用します。〈原爆投下後の長崎で、亡くなった幼子を背負う「焼き場に立つ少年」。撮影した米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさんの妻が夫の生涯をたどり、長崎原爆の日の9日に著書が出版された。「投下した側」でありながら、投下は過ちと訴え続けた足跡を写真と共に追っている〉(引用は以上)

この写真が掲載されたずいぶん前の新聞記事のスクラップは私ももっていて、見るたびになんともいえないせつない気持ちをおぼえるのです。30年以上も前のことですが、気仙沼に帰省したときに、この写真のことを父と話したことがあります。父は、少年の姿勢がまさに帝国陸軍兵士を思わせると語っていました。息子がこの写真にいだく気持ちを聞いて、うれしそうというかホッとしような表情をうかべていたのです。

父は招集されて中国大陸での戦争を経験しています。私に細かな戦争のことを話すことはほとんどありませんでしたが、関係書籍を購入して読んでいたことを覚えています。自分が戦った戦争というか作戦がどういうものだったのかを知りたかったのでしょう。同級生 佐々木徹君(3年1組)のお父さんも、同じく中国戦線で戦ったことがあるのですが、あるとき二人で書籍の付録資料の地図を広げ、それぞれの転進の道程を追っていたことを思い出します。父が、在家得度を受けるために曹洞宗の大本山 永平寺に一週間滞在したときも佐々木さんと一緒でした。中国大陸で同じ経験をし、同じ風景を見てきたという思いがあったのでしょう。

父は仏像をたくさん集めていて、元気なころはその前で朝晩に読経しておりました。古いダイアリーに知人の命日と戒名/法名が記してあり、その日に亡くなった方の菩提(ぼだい)をとむらっていたのです。その父も9年前に亡くなったのですが、仏像の整理をしていた私は、厚紙に貼った新聞の切り抜きが仏像の後側にたてかけてあるのに気付きました。それが「焼き場に立つ少年」でした。

この写真を見るたびに、袈裟(けさ)を胸に、数珠を手に経をあげる父の姿を思い出します。最後はつぎのように声を発したはずです。

〈 じょうらい、きょうしゅをふじゅす、あつむるところの功徳(くどく)は、○○霊位にえこうし、ほうちをしょうごんせんことを 〉

終戦/敗戦から72年が経ちました。

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tag : 気仙沼 気中20 焼き場に立つ少年 ジョー・オダネル

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気中20回生支援会

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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