最後は古里のため

無医地区になることが心配されていた気仙沼大島の診療所の後任医師に森田良平さんが決まったことは、このブログでも紹介しました。そして、森田先生による診療が6月1日に開始されました。その様子は新聞やテレビでも報じられましたが、本日は仙台放送(FNN系列)のニュースをご紹介します。

森田医師
仙台放送6月1日配信動画より(クリックで同局サイトへジャンプ)

仙台放送のニュース映像は以前、ユーチューブでも公開されていたので紹介しやすかったのですが、数カ月前からは、同局のサイト内でしか見られません。動画視聴は、上の画像をクリックして記事タイトル中の「最後はふるさとのために」の〈動画〉をさらにクリックしてください。

ニュース音声の後半を引用します。

〈 気仙沼市出身の森田医師。 2011年3月11日、あの日、関東の病院で勤務中だった。津波で姿を変えたふるさと。しかし、森田医師が気仙沼に訪れたのは、震災からおよそ1年たってからだった。森田医師は、「精神的に震災でやられた気仙沼を見るのも、少し怖かったというのもあった」、「自分の心理的なものもあって、来られなかった時の後悔の念があります」と語った。そして抱いた思い、「ふるさとの地域医療に貢献したい」。森田医師は、「自分が来たことで安心していただけるような、あそこに行けばなんとかしてくれるという安心感を持ってくれる病院にしたい」、「医師の人生の最後は、こちらで地元の方に役に立ちたい」などと語った。ふるさと・気仙沼のために。 離島での医療現場に飛び込んだ森田医師の言葉は、二度と後悔しないための「故郷への思い」にあふれていた。 家族は関東にいて、単身でやってきた森田医師。大島に住み、島の人と触れ合っていくと話していた。〉(引用は以上)

私が見たほかのテレビニュースによれば、森田医師が気仙沼に行く考えを家族に相談したところ、はじめは奥様やお嬢様が反対したそうです。しかし、自分の思いをくわしく話して最後は理解してくれたと。

〈二度と後悔しないための「故郷への思い」〉。こう文字にするとちょっときれいすぎるようにも感じます。森田良平さんが、気仙沼大島に行くことを決断するまでにはさまざまな葛藤があったはずです。そのなかには、〈気仙沼に帰って後悔するのではないか〉との思いもあったことでしょう。

仙台放送のニュースによって、森田良平医師の決断の背景にあった思いを知ることができました。それを皆様と共有したく紹介いたしました。

そういえば、ニュースのなかで「うれしくて、夕べ眠れませんでした。うれしくて、うれしくて」と語っていたのは、気高同級生雅裕君のお母様〈宮古屋〉熊谷すん子さんだと思います。患者さんとのことなので、妙な言い方になりますが、お元気そうでなによりです。

それにしても、映像で見る森田良平医師は、お父様の〈森田内科〉森田昭夫先生そっくりです。そうした医師としての森田家ファミリーストーリーは、3月のブログに記しました。おてすきのときにでも。

3月29日ブログ「森田家ストーリー」
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ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 大島医院 森田良平

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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