甚兵衛が見た風景

今度の土曜日4月8日、気仙沼〈みなとのがっこう〉で〈作家・熊谷達也から見た気仙沼 第3章~『仙河海』のこれまでとこれから〉の講座がもたれることは、3月30日のブログで紹介しました。熊谷達也さんは、気仙沼中学での教師経験をもつ直木賞作家です。

その熊谷達也先生による気仙沼をモデルとした〈仙河海(せんがうみ)シリーズ〉最新作は『鮪立(しびたち)の海』ですが、本日は前作『浜の甚兵衛』についてです。私はすでに読んでおりましたが、小説の紹介というのはなかなか難しい。そんなことでブログ紹介はせぬままにおりました。今日は〈甚兵衛が見た風景〉と題し、熊谷達也先生も執筆にあたって参照したと思われる写真を紹介します。〈みなとのがっこう〉の予習ということで(笑)。

『浜の甚兵衛』の主人公は菅原甚兵衛。気仙沼をモデルとする〈仙河海(せんがうみ)〉で沖買船の商売をしています。この小説には〈沖買船〉など、気仙沼の漁業の発展の歴史が北洋でのラッコ・オットセイ猟/密猟なども含め、興味深く描かれているのです。

小説のはじめ、大津波が仙河海(気仙沼)を襲います。文章中に〈今から40年前にあったという安政3年の津波〉という記述がありますので、40年後は1896年。つまりこの津波は、1896年(明治29年)6月15日の〈三陸大津波〉です。小説の冒頭で、日清戦争の戦勝祝典が神社(五十鈴神社)で開かれていたことも史実と合致します。

この津波で、階上(はしかみ)村の明戸(あけど)地区(岩井崎の西側)は壊滅的な被害を受けました。「気仙沼市史」第4巻では「階上村誌」による被害状況を紹介しています。それによれば、明戸地区の全戸数89戸のうち流壊86戸、半壊1戸、住民588人のうち死亡者は433名、このうち42名は小学校児童だったとのこと。〈瞬時にして住居は全滅となり、72%の住民が死亡、辛うじて助かった人々もほとんどが負傷していた〉と。

気仙沼ライオンズクラブ発行の「目で見る気仙沼の歴史」が、〈80尺(約25m)の津波〜三陸大海嘯〉という見出しで大きな写真を掲載しています。海嘯(かいしょう)は津波のこと。撮影地区がはっきりとしないのですが、説明文章は階上地区のことを主に書いていますので、明戸の惨状であると推定されます。

明治三陸大津波
目で見る気仙沼の歴史」より

『浜の甚兵衛』では、明治31年の大火にも触れています。写真はないのですが、市史によれば、明治31年2月15日の大火は魚町(旧称は「釜の前」)2丁目から出火し、3丁目一帯、神明社(神明神社/五十鈴神社)まで焼け、焼失戸数は117戸でした。

最終章〈焦土の先〉では大正4年の大火が描かれるのですが、そこにはなにか希望を感じさせる余韻があるように思いました。大正4年3月30日の大火については、昨年のブログで詳しく記しましたので、本日はその写真のみ再掲しておきます。(写真はすべてクリックで拡大)

◎八日町、三日町
横丁山から新町方面をのぞむ

大正の大火1

◎南町

大正の大火2

2016年10月14日ブログ「大正の気仙沼大火」

以上の明治三陸大津波と大正4年の大火の写真。『浜の甚兵衛』の背景としてご覧いただければと。最後に、本書の読後感を少しだけ。各章の充実したエピソードの間をさらに濃密な物語でつないだ長編小説として読みたかった。〈もったいない〉というのが正直な印象。4月8日の〈みなとのがっこう〉に参加できれば、熊谷達也先生に直接そんなこともお話しできるのですがかないません。気軽に参加できる気仙沼の皆さんをうらやましく思っております。

浜の甚兵衛
AMAZONより(画像クリックでサイトにジャンプ)

3月30日ブログ「みなとのがっこう」
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tag : 気仙沼 気中20 みなとのがっこう 浜の甚兵衛 熊谷達也 仙河海

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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