森田家ヒストリー

26日予定が変更となり本日29日となった大島架橋のアーチ部架設作業は、午後3時には終える予定となっています。午前5時40分頃には、朝日埠頭でアーチ部の吊り上げをおえて、午前9時頃には架設現場まで曳航されたようです。無事の工事完了を願っています。

さて、大島医院の後任医師に、気仙沼〈森田医院〉森田潔院長の弟さんである森田良平さんが内定したことは、きのう3月27日のブログで紹介しました。私は先週はじめにこのニュースを知り、気仙沼において森田家が果たしてきた役割というものを思い起こしたのです。本日は、少し長くなるのですがその話を。

森田潔・良平ご兄弟の父君は〈森田内科〉森田昭夫先生です。私の父も公私ともに親しくさせていただきました。昭夫先生が八日町で医院を開業したとき、そのお披露目にうかがった父が少しお酒をいただいたのか上機嫌で帰ってきたことをおぼえています。「気仙沼市文化史年表」によれば、昭和36年(1961年)2月ですから、私が小学校3年生のときのこと。

そして昭夫先生の先代となる森田八郎氏は、新沼綱五郎町長の後継として昭和3年から7年まで、第7代となる気仙沼町長をつとめました。

森田八郎
第7代町長 森田八郎(気仙沼市史 第4巻口絵より)

気仙沼市史第4巻「近代・現代編」では、その功績を年表形式で紹介し、〈森田町長は、苦闘の中に気仙沼町の復興を果たし下野した〉と記しています。その後に、森田家に関する記述がありましたので引用します。

〈 森田家は代々医家である。八郎は祖(の)東周から四代目、父(の)東州は西磐井郡中尊寺生れで、東京済生学舎に学び女医として有名な吉岡弥生と同期だったという。四代松山平兵衛が中風に懸かり、一関から赤間医師を招致して治療に当らせたとき、随行してきたのが東州で、森田家の長女わよと結婚して嗣子(しし/後継ぎ)となった人である。したがって森田は松山家で育ち、後に同じく町長となった五代松山平兵衛は森田を兄と呼んだという。 森田は初め法律の学校に通っていたというが、のちに医学校に学んだ。 気仙沼電気会社社長(大正13年頃)、気仙沼港製氷株式会社社長(同)、気仙沼信用組合長と実業面の功績は大きく、町長として大火災の後始末、上水道の完成、魚市場開設には業界を調整して基本的方向を定めた。〉(引用は以上。括弧内は年代記述を除いて小田による補足)

文章の最後の系図によれば、東周を1代目として、2代目の養子〈清安〉と養女〈てい〉の長女が〈わよ〉。わよと結婚したのが3代目となる養子〈東州〉です。中尊寺村の菅原家の生まれとのこと。2代目の青安、そしてその妻てい については、唐桑村伊藤家生れとの記述がありました。森田昭夫先生の奥様は唐桑町鮪立(しびたち)の旧家〈古館(こだて)〉から嫁いだ方ですが、3代さかのぼったときから唐桑との縁があったのですね。

参考まで付け加えれば、森田八郎町長の奥様が森田イマノさん。昭和20年には気仙沼町婦人会の会長、21年には教育委員に選ばれています。34年には気仙沼市の婦人会長に選出されるなど、教養人として知られる女性でした。

気仙沼で図書館長をつとめた菅野青顔さんは、ご自身が執筆連載していた三陸新報コラム「万有流転」(1972年2月20日記事)でイマノさんの訃報にふれて、つぎのように書いています。〈三陸新報社編集局の森田宅時代のことだが、便所に行くと、いちいち挨拶して用をたしたら「あんだだけです、挨拶するのは」といって、茶の間に上げて上酒のモッキリ二杯を飲ませてくれた刀自(とじ/年配の女性に対する敬称)でもあった。片意地の強い人のように言うひともあるが、情理をわきまえぬ人ではなかった〉。(三陸新報社刊「菅野青顔の万有流転」下巻より)

上記の市史引用文中に、森田八郎氏が気仙沼信用組合長をつとめたという記述があります。現気仙沼信用金庫の沿革をみてみると、大正15年9月に信用組合が設立されたときの初代組合長が森田八郎氏です。その関係でしょう、第5代目としての理事長に森田昭夫先生が就任しています。この沿革のなかに、当時は信用金庫会長をつとめていた昭夫先生が平成17年12月に死去との記述もありました。

気仙沼市史の〈森田町政〉に関する記述の最後には、東周に始まり昭夫先生までの森田家5代にわたる系譜が記されています。これをながめていると、6代目としての潔先生、そして大島医院の医師となる良平先生も、まさしく森田家のファミリーヒストリーに連なる人達だなということが実感されるのです。

3月28日ブログ「大島後任医師内定」
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 森田八郎 森田医院

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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