被災の記憶の重さ

3月11日は、震災から6年ということで、テレビ各局が特集番組を組んでいました。私は仕事場でラジオ放送を聴いていたのですが、文化放送で気仙沼からの中継があるというのです。伊東四朗さんと吉田照美さんの〈親父・熱愛(パッション)〉という番組。午後3時から5時まで、渡辺謙さんのカフェK-portからの生放送でした。

中継
番組サイトより(画像クリックでジャンプ)

4時をすぎた頃、追悼式典などを終えた菅原市長がK-portに到着して話に参加しました。市長からは気仙沼の被災や復興の現状などの話があったわけですが、私がちょっと驚いたのは市長が〈家内の話なのですが〉といって語ってくれたつぎのような話です。

菅原市長の自宅は、津波で流されました。自宅にいた奥様や市長のお母様、次女の娘さんらは避難し、幸いにも命を失うことはありませんでした。しかし、その奥様が震災後に〈あの津波や避難は前の世界のことで、もしかすると私はいま、あの世にいるのではないか〉というようなことを言っていたというのです。さすがに今はそんなことはないが、震災後しばらくは思い出すように語っていたと。

SF/サイエンス・フィクションでよくある〈パラレルワールド〉、もう一つ別の世界を連想させる話です。私は被災の記憶というものの重さというか深さをあらためて知らされたような気がしました。

6年たってやっと当時のことを話すことができることになったとか、自ら撮影したあの日の写真に向かい合うことができるようになったという同級生の話も見聞きします。3月11日に私が感じたことのひとつとして記しました。

話は変わります。伊東四朗さんと吉田照美さんは、気仙沼の現地を見ての感想なども語ってくれました。復興の遅れや巨大防潮堤についての疑問など。気仙沼のことをいろいろと心配してくださって、とてもありがたいと思いました。ただ、〈ちょっと違うんだけどなあ〉という印象をもったところも。問題はもっと複雑なんだけどなと。しかし、それは細かなこと。3月11日に気仙沼から中継生放送おこなってくださった伊東さんや吉田さんをはじめ、文化放送や関係者の皆様にお礼を申しあげます。ありがとうございました。

こうして3月11日は、菅原市長の奥様の被災の記憶の重さ、そして当事者しか知り得ない、そして語り得ないことがあるんだなということを、強く感じた日となりました。
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 文化放送 親父熱愛 K-port

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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