日門漁港の防潮堤
2月26日の三陸新報の一面トップ記事〈ニュースを追って〉は、大谷の海水浴場から南西方向にある日門(ひかど)漁港の防潮堤問題をとりあげていました。

三陸新報2月26日記事の一部イメージ
記事のリード部を引用します。
〈県が気仙沼市本吉町の日門漁港に計画している、海抜9.8mの高さの防潮堤に、住民が反発している。昨年末に示された計画は、国道から見える海や港の景色をさえぎるものだった。生命と財産を守ろうと理解を求める県に対し、「到底受け入れられない」と待ったをかける住民。両者の考えに隔たりが大きく、議論の長期が予想される。〉(引用は以上)
宮城県(気仙沼地方振興事務所水産漁港部)が昨年末の説明会で示した計画では、国道に沿うような形で延長約280mの防潮堤を築きます。数十年から百数十年のペースで発生するL1津波に対応するためとされています。
三陸新報の〈ニュースを追って〉は、気仙沼周辺地域の課題や問題点を通常の記事よりも一歩踏み込んで伝える記事。今回は、守竜太記者の署名記事となっています。
本日この記事を紹介したのは、日門の防潮堤問題について知って欲しいということもあるのですが、それ以上に気仙沼における防潮堤に関する議論が低調になっているのではないかと感じているからです。気仙沼の〈防潮堤を勉強する会〉の活動も内湾の防潮堤計画が定まったあとの動きは聞こえてきません。私からすると、港町から魚市場までの防潮堤はその後どうなっているのかなど気になることも多いのですが。ごめんなさいね、勝手なことを言って。元市民の声ということで許してください。
三陸新報さんはこの防潮堤についてどう考えているのでしょうか。記事の筆者である守記者はつぎのように書いています。
〈県の考え方から、高さを変えること、無堤とすること、さらに背後の国道かさ上げなど、どの方向性を目指すにしても、日門の地理的条件などが加わってハードルは高い。どこまで計画変更が可能かどうかは、今のところ見通せない。
隣の大谷海水浴場周辺では、住民が粘り強く行政機関と話し合った結果、当初の計画を変更し、互いに納得した結果を導き出している。大島浦の浜なども同様で、住民の熱意が行政を動かした事実がある。〉(引用は以上)
確実に一歩は踏み込んでいるのですが、さらにもう一歩をと思うのは私だけでしょうか。それでも、一面トップにこの記事をもってきたということで十分に気持ちは伝わりました。6年近く経って、大震災の記憶の風化とよく言われます。しかし、少なくとも防潮堤の問題に関しては、被災地気仙沼の人の関心も薄くなっているのではないでしょうか。杞憂であればいいのですが。
2016年8月3日ブログ「大谷防潮堤の続報」

三陸新報2月26日記事の一部イメージ
記事のリード部を引用します。
〈県が気仙沼市本吉町の日門漁港に計画している、海抜9.8mの高さの防潮堤に、住民が反発している。昨年末に示された計画は、国道から見える海や港の景色をさえぎるものだった。生命と財産を守ろうと理解を求める県に対し、「到底受け入れられない」と待ったをかける住民。両者の考えに隔たりが大きく、議論の長期が予想される。〉(引用は以上)
宮城県(気仙沼地方振興事務所水産漁港部)が昨年末の説明会で示した計画では、国道に沿うような形で延長約280mの防潮堤を築きます。数十年から百数十年のペースで発生するL1津波に対応するためとされています。
三陸新報の〈ニュースを追って〉は、気仙沼周辺地域の課題や問題点を通常の記事よりも一歩踏み込んで伝える記事。今回は、守竜太記者の署名記事となっています。
本日この記事を紹介したのは、日門の防潮堤問題について知って欲しいということもあるのですが、それ以上に気仙沼における防潮堤に関する議論が低調になっているのではないかと感じているからです。気仙沼の〈防潮堤を勉強する会〉の活動も内湾の防潮堤計画が定まったあとの動きは聞こえてきません。私からすると、港町から魚市場までの防潮堤はその後どうなっているのかなど気になることも多いのですが。ごめんなさいね、勝手なことを言って。元市民の声ということで許してください。
三陸新報さんはこの防潮堤についてどう考えているのでしょうか。記事の筆者である守記者はつぎのように書いています。
〈県の考え方から、高さを変えること、無堤とすること、さらに背後の国道かさ上げなど、どの方向性を目指すにしても、日門の地理的条件などが加わってハードルは高い。どこまで計画変更が可能かどうかは、今のところ見通せない。
隣の大谷海水浴場周辺では、住民が粘り強く行政機関と話し合った結果、当初の計画を変更し、互いに納得した結果を導き出している。大島浦の浜なども同様で、住民の熱意が行政を動かした事実がある。〉(引用は以上)
確実に一歩は踏み込んでいるのですが、さらにもう一歩をと思うのは私だけでしょうか。それでも、一面トップにこの記事をもってきたということで十分に気持ちは伝わりました。6年近く経って、大震災の記憶の風化とよく言われます。しかし、少なくとも防潮堤の問題に関しては、被災地気仙沼の人の関心も薄くなっているのではないでしょうか。杞憂であればいいのですが。
2016年8月3日ブログ「大谷防潮堤の続報」
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア