にほんご万華鏡3

10月のはじめ、帰宅中の東横線車内で座っていた私の肩をたたかれました。顔をあげて見ると、小野寺久君でした。鹿折中学出身で気仙沼高校のひとつ下。8月下旬には、久君からメールがあり、昨年亡くなった奥様牧子さんの3冊目の著書『にほんご万華鏡3』が9月に発刊されると知らされていました。

にほん語万華鏡
「にほんご万華鏡3」カバー表裏(牧子さんの小学校時代の恩師である安野光雅さんや、国谷裕子さんの言葉が記された帯と共に)

本書は発売後すぐに入手し、このブログでも紹介しようと何度か書きはじめたのです。しかし、うまくまとまりません。どうしてもせつなさが感じられてしまうのです。たとえばつぎのようなことです。

2011年10月14日、牧子さんは生まれて初めての大腸内視鏡検査を受け、進行大腸ガンであるとの診断を受けます。その夜、一睡もできなかったという久君はあとがきでつぎのように記しています。

〈このがんは私がこれまで30年を超えて研究してきた専門領域であり、今後主治医かつ家族として向き合う将来におぼろげな闇が見えたからです。しかし落ち込みがちな医師の私を励ましてくれたのが、取り乱すこともなく淡々としていた患者の彼女だったのは何とも皮肉でした〉

そして4度の大手術、2度にわたった抗がん剤治療などを続けるなかで牧子さんは、以前から『ニューズレター』誌に連載していたエッセイを基にした『にほん語万華鏡〜人生を豊かにする閑字』を2012年4月に発刊します。2015年1月にはその第2巻目を世に出すことができました。牧子さんの努力はもちろんのことですが、なんとか彼女を励ましてやりたいと久君も力を尽くしたことでしょう。

牧子さんが亡くなったのは、穏やかな日曜日2015年8月23日のことでした。本日紹介した第3巻の久君のあとがきの日付はその一年後2016年8月となっています。〈彼女自身が仕事を継続することは叶いませんでしたが、彼女の蒔いた種がどこかにつながればと〉

久君は気仙沼高校を卒業後、東京大学で牧子さんと出会い、その後に休・退学して京都大学医学部に進みました。同大付属病院からロンドン大学セントメアリー病院での研究生活を経て、京大では医学研究科腫瘍外科学 助教授もつとめました。そして現在の聖路加国際病院に招かれて外科部長などを歴任、現在は教育研究センター長です。

2007年に三笠宮妃である百合子さまの大腸がん手術を執刀したのも消化器センター長だった久君でした。当時、記者会見で説明する久君をテレビニュースで見ておどろいた人も多いことでしょう。こうした、華麗にも見える久君の経歴や実績もけっしてたやすく実現できたわけでなく、牧子さんというパートナーの支えがあってこそ。それだけに、彼女を失った久君の悲しみの深さを感じるのです。

紹介はここまでにしておきますが、あとがきに、牧子さんがお孫さんの成長を2歳3カ月まで見届けることができたと記してありました。彼女の最後の希望でもあったと。そうしたことをはじめ、久君が牧子さんの3冊の著書を開くとき、さまざまな思いが去来することでしょう。それはまさに〈万華鏡〉のようなものかもしれません。

2015年8月27日ブログ「久君の奥様の訃報」
2011年11月23日ブログ「喪中欠礼の葉書」



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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 小野寺牧子 小野寺久 にほん語万華鏡

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Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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