三陸新報配達少年

三陸新報への投稿記事を紹介します。10月20日付と21日付の2回にわけて掲載されました。三陸新報を配達していた中学生のころの追憶が記されています。

三陸配達

三陸新報10月20日記事の一部イメージ

投稿者は但野邦芳さんです。〈ただの〉さんとお読みするのでしょうか。72歳で、気仙沼高校の同窓会名簿にもそのお名前がありました。気高14回生で私たちより8年先輩です。上下2回の投稿文に私はとてもしみじみしたものを感じました。実際に読んでもらうのが一番なのですがそれもできず、ここではその一部を紹介しようと思います。


但野さんが中学1年生の1956年(昭和31年)、お父様が49歳で急逝します。母親に負担をかけないように、そして自分で稼いで自由に使える小遣いがほしいと三陸新報の配達アルバイトを始めました。中学3年の1月まで2年半つづけたそうです。

朝5時30分に起床して河原田にあった自宅を6時前に出発、途中は走り6時前後には八日町の(現在の森田医院の場所にあった)三陸新報社に到着し新聞を受け取ります。担当した配達区域は古町1丁目のかどや旅館からから始まり、滝の入地区の線路を渡って、ふたつの坂それぞれの奥までの150軒ぐらい。配達が終わるのは7時過ぎで滝の入の一番奥から河原田まで、また一気に走り7時15〜20分頃には自宅に到着したそうです。

その後、配達区域を自宅のある河原田1区、2区に替えてもらいますが、軒数は前よりも多い170軒位だったとか。つぎの配達ルートの記述は、地元の人には懐かしいのではないでしょうか。

「最初のスタートは、信号機のある尾形理容店から港の方へ右側を下り南映館前の金物屋まで。次は反対側の本田豆腐屋付近からお稲荷さんの神社を過ぎ、現在の双葉保育園の坂道両側を登りつめてから裁判所の上を通り、さらに下ってムサシヤ付近で全戸数の配達は終わりです。」

頁数が通常の3倍にもなる元旦号の配達は、重いので2度にわけておこなったそうです。

「私は学校が冬休みに入っているので、配達が終わり家に帰るとすぐ布団に入って休み、何よりも楽しみのごちそうの餅を食べて、また布団に入りました。正月は学校も休み、新聞配達も休み、母親の仕事も休みと、家族だんらんすることができました。私は映画館に行って時代劇を見ることが何よりも楽しみで、お正月は1年の中で何よりも楽しい時間でした。」

秋になると、どこの家からも朝から焼いたサンマの匂いがしたそうです。そしてお客さんから「アンちゃんが来る時間が時計の様だ」と言われたとか。中学校のテストの時期には、配達区域にたくさんいる同級生が朝から勉強している姿をみかけたそうです。こんな時は「仕方ないなぁ」と自分に言い聞かせたとも。また、但野さんは当時の子どもの遊びについてつぎのように記しています。

「私たち子どもの男子は、小正月にナマコ踊りが流行。夏は小田の浜やお伊勢浜や大谷の海水浴と大川での水浴び、春秋の山歩き。正月休みはロマンス座、旭劇場、東映、かなえ座、南映の5軒で映画を見て楽しみました。冬は市内の至る所の田んぼや池で、げたスケートや竹スキー、チャンバラごっこ、ビー玉やベー駒、バッタなど。女子はおはじきやお手玉、縄跳びなど、親に叱られ叱られ遊ぶことに夢中で、常に自然の中に親しみ溶けこんで四季を通じて、いつも子どもたちの笑顔がいっぱいあった平和な時代でした。」

ナマコ踊り(なまこどり」のことだと思います)や、映画館などの名もなつかしい。そして但野さんは、当時を思い起こし、〈漁船漁業の繁栄と共に人口も増えて水産都市気仙沼市民の生活が格段に良くなって、心の豊かさと熱気があふれ、将来の希望に満ちていた時代だった〉と記します。

但野さんは投稿文をつぎのように結んでいます。

「私は、新聞配達で鍛えたランニングが、その後の陸上競技に生かされ、72歳になった今でも足腰が丈夫なのは、子ども時代からの鍛錬のおかげであると、遠い昔を懐かしみ、この年になった日頃を感謝しております。」

いろいろと大変なこともあったと思うのです。しかし、いまの自分があるのも当時のおかげと語る但野さんの文章に大いに感じ入りました。
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 但野邦芳 三陸新報

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広野新聞店

あいにく仙台にいて、但野さんの新聞少年の記事を見逃してしまいました。
私の場合には、小学5年生の時に1年ほど、横丁の広野新聞店で朝日新聞を配達していました。担当地区は、入沢から陣山までで、三陸や河北に比べれば、朝日の購読者は少なく、広い地区に点在する家を周るので、効率は非常に悪く、月給は1500円ぐらいだったと覚えています。
一番の思い出は、一度だけ号外を配ったことです。小学校から家へ戻ると、広野新聞店からの臨時の招集がありました。それがケネディの暗殺のニュースです。ガリ版のような号外でした。
広野新聞店を仕切っていた太ったおばちゃんが懐かしいです(三)
プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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