米山さんへの感謝
9月23日のブログで、羽田神社のお山がけを紹介しました。その記事を書く際に、私がお山がけにいったことがあるかどうか、仙台に暮らす母へ電話しました。記憶どおり、私はお山がけに行っていなかったのですが、故郷の柏崎にもお山がけと同じような風習があったと母が言うのです。
母は新潟県柏崎市で生まれ育ちました。柏崎市と気仙沼の柏崎(かしざき)の因縁は以前このブログにも書いております。
2015年4月16日ブログ「気仙沼と柏崎の縁」
柏崎には、有名な三階節(さんがいぶし)で〈米山(よねやま)さんから雲が出た〉と唄われる米山があります。その米山さんに11歳のときに登ると、頂上まで神様が連れて行ってくれるというので、自分も登ったと。そして、なんとか登りついたとき、かごの中に水をいれたコップが並べてあったので、急いでそれを飲みのどの乾きをいやしたそうです。しかし後で知ったところによれば、それは売り物の水。「20」という数字を覚えているので、20銭だったのだろうかと。
山に登るときには、青年団の人たちが綱(つな)で引っ張ってくれるなどいろいろお世話をしてくれたそうです。その一人は背中に大きな荷物を背負っていました。ほかの仲間から〈仏壇でもかついできたのか〉とからかわれていましたが、それは蓄音機でした。休憩するたびにゼンマイを巻いてレコードで音楽をかけてくれたそうです。
〈いい話だね〉と少しからかって電話をきった後に、ネットで調べてみましたら、つぎのようなことがわかりました。
柏崎には、数えで12歳になると〈初登り〉と称して米山にのぼる習俗があるのだそうです。登りきれば一人前の男の子。そして母の話にあった神様というのは、薬師如来でした。米山にまつられている薬師如来には12の菩薩がついており、その菩薩様が初登りの子の手を引いてくれるといいます。12菩薩と数えの12歳を重ね合わせているのでしょう。母が11歳の時といっていたのは満年齢だと思います。柏崎の〈初登り〉も本来は男児の通過儀礼のようですが、当時は女児も一緒に登ったようです。
〈羽田のお山がけ〉は、父親以外の大人がつきそいます。柏崎〈初登り〉はどうだったのでしょうか。とはいうものの、母は幼いころに父親を亡くしておりその顔も写真でしか知りません。ですから、そもそも一緒に登ることはできないのです。
本来は男児のみだけど女児の登山も許されたというユルい感じからすると、〈父親同行も可〉ということだったのではないか。もしそうだとすると、ほかの子供たちに付き添うお父さんたちを見て、母がどう感じたか。うらやましかったのではないか。頼もしい父親の代わりに青年団の人達の印象が強く胸に刻まれているのでは、などと妄想が止まりません(笑)。
数字の「20」の記憶など、本当は「10」かも知れずあてにはならないのですが、母の記憶は細かな話というかエピソードがよくできています。93歳。足腰がおぼつかないところはあるものの、頭はしっかりとしているようです。これも、数え12のときに登った米山さんに座す、薬師如来さんや12菩薩さんのおかげに違いありません。
最後になりましたが、柏崎市の海岸沿いから望む〈米山さん〉の写真を。

http://www.panoramio.com/photo/32537177より拝借
母は新潟県柏崎市で生まれ育ちました。柏崎市と気仙沼の柏崎(かしざき)の因縁は以前このブログにも書いております。
2015年4月16日ブログ「気仙沼と柏崎の縁」
柏崎には、有名な三階節(さんがいぶし)で〈米山(よねやま)さんから雲が出た〉と唄われる米山があります。その米山さんに11歳のときに登ると、頂上まで神様が連れて行ってくれるというので、自分も登ったと。そして、なんとか登りついたとき、かごの中に水をいれたコップが並べてあったので、急いでそれを飲みのどの乾きをいやしたそうです。しかし後で知ったところによれば、それは売り物の水。「20」という数字を覚えているので、20銭だったのだろうかと。
山に登るときには、青年団の人たちが綱(つな)で引っ張ってくれるなどいろいろお世話をしてくれたそうです。その一人は背中に大きな荷物を背負っていました。ほかの仲間から〈仏壇でもかついできたのか〉とからかわれていましたが、それは蓄音機でした。休憩するたびにゼンマイを巻いてレコードで音楽をかけてくれたそうです。
〈いい話だね〉と少しからかって電話をきった後に、ネットで調べてみましたら、つぎのようなことがわかりました。
柏崎には、数えで12歳になると〈初登り〉と称して米山にのぼる習俗があるのだそうです。登りきれば一人前の男の子。そして母の話にあった神様というのは、薬師如来でした。米山にまつられている薬師如来には12の菩薩がついており、その菩薩様が初登りの子の手を引いてくれるといいます。12菩薩と数えの12歳を重ね合わせているのでしょう。母が11歳の時といっていたのは満年齢だと思います。柏崎の〈初登り〉も本来は男児の通過儀礼のようですが、当時は女児も一緒に登ったようです。
〈羽田のお山がけ〉は、父親以外の大人がつきそいます。柏崎〈初登り〉はどうだったのでしょうか。とはいうものの、母は幼いころに父親を亡くしておりその顔も写真でしか知りません。ですから、そもそも一緒に登ることはできないのです。
本来は男児のみだけど女児の登山も許されたというユルい感じからすると、〈父親同行も可〉ということだったのではないか。もしそうだとすると、ほかの子供たちに付き添うお父さんたちを見て、母がどう感じたか。うらやましかったのではないか。頼もしい父親の代わりに青年団の人達の印象が強く胸に刻まれているのでは、などと妄想が止まりません(笑)。
数字の「20」の記憶など、本当は「10」かも知れずあてにはならないのですが、母の記憶は細かな話というかエピソードがよくできています。93歳。足腰がおぼつかないところはあるものの、頭はしっかりとしているようです。これも、数え12のときに登った米山さんに座す、薬師如来さんや12菩薩さんのおかげに違いありません。
最後になりましたが、柏崎市の海岸沿いから望む〈米山さん〉の写真を。

http://www.panoramio.com/photo/32537177より拝借
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テーマ : 東日本大震災支援活動
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