羽田の「お山がけ」

明日9月24日(土)は、気仙沼中学を卒業してから半世紀がたったことでの〈あれから50年同年会〉です。私も参加しますが、飲み過ぎないようにしないと(笑)。

さて、9月15日と16日の両日、気仙沼市赤岩上羽田の羽田(はた)神社の伝統行事「お山がけ」がおこなわれました。7歳になる男児が、甘えを断ち切るために祖父や親戚など、父親以外の大人と一緒に羽田山(標高460m)を登るもの。約400年の歴史があるといわれ、2000年12月に国の重要無形民俗文化財に指定されています。

三陸新報は、9月16日に記事を掲載し、18日の写真特集〈ズームアップ〉でもとりあげていました。

9月18日おやまがけ
三陸新報9月18日記事の一部イメージ

気仙沼市の国指定文化財は2つ。いずれも無形民俗文化財で、〈室根神社祭のマツリバ行事〉と〈羽田のお山がけ〉です。念のため記せば、宮城県指定無形民俗文化財は、〈新城の田植踊〉〈早稲谷鹿踊〉〈廿一田植踊〉の3つです。

〈羽田のお山がけ〉については、つぎの文化庁のデータベースに詳しい解説が記されています。

文化庁「国指定文化財等データベース」解説

しかし、この解説はちょっと長いので、ここでは「気仙沼市史」第7巻「民俗・宗教編」における記述を以下に引用いたします。

「 羽田のお山がけは、旧暦8月16日の朝から一日をかけて、七歳の男子のグループが何度かに分けられ、羽田山(460m)に登拝する行事である。気仙沼地方の広範囲から参加をするが、登拝中途の神社を参拝しながら、頂上の月山神社を拝み、オハチ巡りと呼んで、お宮の回りを左回りに三度回ってから、宮司からご祈祷を受ける。男の子の付き添いに父親がいっしょに行ってはならないとされ、親類のおじさんなどが男子について登る。

この禁忌の由来を伝える伝説が、山の五合目にある姥石に因(ちな)んである。昔、親子でお山をかけたときに、この場所で父母を見失い、「トトや、カカや、ホーイホーイ」と呼び続けたという。そのために、今でも「親子お山」は禁じられているという。

子供は当日に社務所でカケマブという笈摺(おいずる)を着て、しめ縄を肩から掛け、鉢巻をして竹杖を持って出かける。これらは全部、今では神社で用意をするが、もとは各子供の家で作ったものである。竹杖は山から降りるときに、杖を納める場所に納めてくる。子供の家では、この後、親類や近所の家の人々を招いてお振舞(おふるまい)をしている。

明治から昭和30年頃には、遠くから子供を馬に乗せてきて、午前二時にお山へ出発したという。これを「一番お山」と今でもいうが、「三番お山」はご来光を仰ぐことができるために人気があった。また、古くは、お山がけの山は愛宕山(633m)まで登ったという。」(市史引用は以上)

私自身は、お山がけの経験はないのですが、少し下の世代の魚町の方が思い出話を書いたりしていますので、上記の解説にあるように気仙沼地方の広範囲からの参加があったのでしょう。河北新報の記事によれば、今年は地元や仙台市、埼玉県から17人が参加したとのことです。

気仙沼に暮らしていたころには特に関心ももたず、いまは東京に暮らす身で、勝手な物言いになるとは思いますが、江戸時代から続くというこの行事がこれからも伝承されていくことを願っております。


羽田神社の場所さえよく知りませんでした。同神社のホームページ掲載の地図をのせておきます。(クリックで拡大)

羽田神社

羽田神社ホームページ
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 羽田神社 お山がけ

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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