怪物金塊諸説紹介

前回9月9日のブログ「モンスターGOLD」の話の続きです。本日紹介するのは、『目で見る気仙沼の歴史』(昭和47年/気仙沼ライオンズクラブ発行)における〈鹿折金山〉と〈怪物金〉についての記載内容です。紹介は2頁にわたっています。

まずは1頁目。

鹿折金山

つぎに2頁目。右上の写真が〈モンスターゴールド〉、左上はセントルイス万国博覧会への出品者 徳永博士におくられた感謝状です。

モンスターゴールド

いずれも『目で見る気仙沼の歴史』より(クリックで拡大)

1頁目には、最盛期の鹿折金山の作業員は300名だったと記されています。2頁目〈怪物金〉の説明文を以下に引用します。

◎含有量85%の怪物金

怪物金が、アメリカのセントルイス世界博覧会に出品され(鉱石600匁(もんめ)で、金が500匁)、鹿折の怪物金と人気を呼んだ。出品者の徳永博士に感謝状がおくられ、政府発行の公債発売に大いに役立った。黒くうつっているのが、金のカタマリ。(引用は以上)

右上の写真が、1904年に米国で開催されたセントルイス万国博覧会に出品された金塊の写真です。〈NUGGET,“MONSTER”〉と記されています。NUGGET(ナゲット)は金属塊のこと(市史ではヌゲットと書いていました。チキンヌゲットか/笑)。

説明文に〈政府発行の公債発売に大いに役立った〉とありますが、これには諸説あるようです。気仙沼市史第5巻/産業編(上)に、つぎの記述がありました。以下に引用します。

「 時あたかも国運を懸けた日露戦争の最中で、日本政府は戦争遂行のため外債募集に腐心していたので、この金塊の産出が外債募集を容易にしたという話が伝わっている。

 この話には、ロンドンで外債募集に当たっていた日本銀行副総裁高橋是清の交渉を容易にしたという話と、伊東博文に依頼されたアメリカで親日的世論を高める工作に努力していた金子堅太郎の活動に役立ったという話と、大蔵大臣曽根荒助の財政演説に引用されたという話と三種あるが、『日露戦争回顧座談会』陸戦篇(昭和10年)の大島健一陸軍中将の実話には「戦費調達に困っていた明治38年秋頃秋田に途方もない良質の金鉱が発見されたことが大きく新聞に報道されたことがある。参謀総長山県有朋が曽根財相を呼んで確かめたところ、戦費調達のため海外に聞かせる宣伝だった。」という話が出ており、この秋田というのは当時金の良鉱を多産していた鹿折の誤りとして中村亀治の子息の次郎が「大気新聞」に紹介し地元に知られるようになったようである。」(引用は以上)

区切りがなくやたらに長い引用文の最後に登場する中村亀治については、秋田県阿仁町の人で明治32年に鹿折で探鉱し鉱脈を発見し、採掘権を得て旧抗の一部の開発にあたったとの記述が前段にありました。この名は、前回のブログで紹介した毎日新聞の記事でも子孫の中村敬二さんの名とともに登場しています。

怪物金塊をめぐる話はまさに諸説紛々。前回では、当時の桂太郎首相が金塊の産出を日露戦争の前線部隊に伝えるよう命じ、兵士の士気を高めようとしたという逸話を紹介しましたが、真相はやぶの中といった感じですね。

高橋是清、金子堅太郎、山県有朋、桂太郎など、わが国の歴史上の人物が多数登場するあたりは、まさにモンスター/怪物金塊のなせる技といったところでしょう。


なお、昭和初期に日本屈指の金産出量を誇った気仙沼市の大谷鉱山について、つぎのブログで書きました。全盛期には1300人が働いていたといいます。

2014年12月17日ブログ「気仙沼の大谷鉱山」
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 鹿折 鹿折金山 モンスターゴールド

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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