モンスターGOLD

9月3日の三陸新報に鹿折(ししおり)金山産出の〈モンスターゴールド〉の記事が掲載されていました。

9月3日鹿折金山
三陸新報9月3日記事の一部イメージ

気仙沼市の鹿折金山で1904年に産出された巨大金塊「モンスターゴールド」の里帰り展示が実現しそうだというのです。リアス・アーク美術館内に専用スペースを整備して常設に近い形で展示していきたいという菅原市長の意向も紹介されています。

記事を少し引用します。〈モンスターゴールドは、重さ2.25kgの巨大金鉱石。金含有量は83%で、通常の金鉱石1トン分の金が含まれており、産出当時は世界を驚かせた。分割されて大部分が行方不明になったが、6分の1のかたまりが地質標本館(茨城県つくば市)で保管、展示されている〉(引用は以上〉

この記事だけではモンスターゴールドのすごさが、ちょっとわかりにくいと思います。毎日新聞/地方版〈みちのく建物探訪〉7月9日配信記事が鹿折金山資料館をとりあげていますので、以下に引用します。

「 鹿折金山は平安時代に開山し、奥州藤原氏の黄金文化を支えた金山の一つとされる。江戸時代に入り、伊達政宗の命で金の採掘が盛んになり、いったん閉山したものの、明治新政府の下で開発を再開した。「モンスターゴールド」が採掘されたのは、再開から4年後の1904(明治37)年だった。

 その存在は、国内外に広く知られるところとなる。「モンスターゴールド」は同年開催の米国・セントルイス万国博覧会に出展され、青銅メダルを受賞。当時の桂太郎首相が金塊の産出を日露戦争の前線部隊に伝えるよう命じ、兵士の士気を高めようとしたという逸話が、司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも登場する。

 ところが博覧会終了後、「モンスターゴールド」は突然、姿を消す。気仙沼観光コンベンション協会の加藤宣夫会長(74)は「行方不明となった時期も場所もまったく分かっていない。まさにミステリーのような話です」という。

 1939(昭和14)年、採掘当時の技師長を務めていた徳永重康・早大教授が「モンスターゴールド」の一部(約362g)を保存していることを論文で紹介。その後、徳永氏の遺族が工業技術院地質調査所地質標本館(茨城県つくば市)に寄贈し、現在、産業技術総合研究所の地質標本館(同)に保管されているが、残りの金塊の行方はいまも分かっていない。

 モンスターゴールド採掘にわいた鹿折金山だったが、金の産出量は1908(明治41)年の約64kgをピークに年々減少。1971年に閉山となった。それから30年後の2001年、明治時代に一時採掘権を所有していた中村亀治氏の子孫の中村敬二さん(78)や鹿折金山跡保存会が、現在の資料館の前身となる展示室を設置。さらに市が2012年10月、「東日本大震災で被災した人たちに何かしらの力になれば」と同資料館を建設した。」(以下略/引用は以上)

鹿折金山はちょっとしたブームのようですね。JR東日本の東北新幹線車内誌「トランヴェール」6月号に〈宮城に吹く金色の風。〉として特集されました。また7月31日(日)には、〈ば!ば!ば!の場! 黄金のロマンを巡る!鹿折金山トレイル!〉として、金山跡の散策のほか砂金採り体験もできるワークショップも開催されています。2012年に資料館が整備されたことで観光スポットしても価値も増したようです。市民の方も一度おとずれてみる価値が大いにあると思いました。場所などは、下記の市のサイトをご覧ください。

気仙沼市サイト「鹿折金山資料館」

『目で見る気仙沼の歴史』にも、鹿折金山の写真が掲載されているのですが、これは来週にでも。今週はこれにて。
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 鹿折金山 モンスターゴールド

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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