やまと食堂の閉店

6月25日(日)の三陸新報にこんな広告が掲載されていました。

やまと食堂
三陸新報6月25日掲載広告

気仙沼市魚町2丁目の〈やまと食堂〉さんが、魚町地区の土地区画整理事業に伴い7月10日をもって閉店するとの知らせです。昭和26年の開店といいますから、昭和26年4月〜27年3月生まれの気中20回生とほぼ同じ。

私たちより一学年下のm-soneさんも、25日の自身のブログでこの閉店広告のことを書いています。その中に〈南町、魚町界隈のそば屋さんと云うと、丸仁、大島屋、かもめ食堂、そしてやまと食堂と云うことになります〉との記述がありました。m-soneさんの実家は、元のエースポートの向かい、喫茶店の亜紀があったあたりでしたから、この 4店が思い出の食堂なのでしょう。エースポートからもう少し駐車場のほうにいったところには丸枡食堂もありました。その並びには黒田拓夫君(3年2組)の実家〈黒田商店〉がありましたが、その後は弁天町に移りました。

私は、やまと食堂にはいった記憶がありません。忘れているだけかもしれませんが、小中学校のころに外の食堂を利用するというのは滅多になかったように思う。私の記憶にある魚町の近所の食堂は海岸通りではなく、ひとつ中に入った通り、カネシメイチの向かいにあった丸常と藤村、そして洋食のマルサンです。私の父が夜の準急〈室根号〉で出張から帰ってきたとき、丸常から出前のうどんをとったことを思い出します。私も一緒にかしわうどんなどを。室根号は夜の9時半頃に気仙沼駅着でした。朝は6時半頃に気仙沼発。仙台まで3時間だったかな。

洋食のマルサンと書いて思いだしたのですが、南町の角星や田中砂糖屋の向かいには洋食の〈ワタブン〉がありました。こう考えると、昔は結構多くの食堂があったのですね。気仙沼の魚市場が南町海岸にあったころは、相当に繁盛したのでしょう。屋台の店もずいぶん並んでいたらしい。しかし、その魚市場も昭和31年/1956年3月に現在地に移転します。

こうして、〈やまと食堂〉閉店のお知らせを見ながら、幼かったころの魚町や南町の様子を思い出しておりました。
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 やまと食堂

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No title

震災前、亡義父も幼かった長男もヤマト食堂さんの出前のお世話になっていました。あの津波に耐えた建物で早々にご商売を再開した何軒かのお店が姿を消していくわけですねぇ…淋しいけど、店主夫妻のご壮健と魚町の再興を願うばかりです。

田中砂糖屋

私のブログをご紹介いただき有難うございます
ワタブンさんの記述で記憶が少し確かになりました
磯屋の向かいの並びは、多分、次の通りでしょうか
セイコー堂(時計屋さん?)
角星園(随分後に開店したお茶屋さん)
角星
田中砂糖屋(この店を忘れていた。子供が砂糖屋へ行くことは無い)
富田本店(紙屋)
ヨネキ
カジワラ
通学路なのに記憶があやふやなものですね(三)
プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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