気仙沼in芸術新潮

新潮社の人気雑誌『芸術新潮』5月号の特集は若冲(じゃくちゅう)でしたが、私が驚いたのはそちらではなく、展覧会批評の頁。「成相肇のやっかい もっかい てんらんかい」。今年の2月から3月にかけて東京・目黒区美術館で開催された「気仙沼と、東日本大震災の記憶〜リアス・アーク美術館」をとりあげていたのです。

やっかいもっかい

『芸術新潮』5月号掲載頁の一部イメージ(クリックで拡大)

筆者の成相肇(なりあい・はじめ)さんは、東京ステーションギャラリー学芸員で、専門はいわゆる現代美術とのこと。文章の冒頭で成相さんは、〈展示会をつくるとき、展示室の中に言葉を示すことは、いつも、どこかやましい〉と記します。そして〈見ることと読むことは、互いに互いを阻害する〉と。

その後に続く展覧会についての記述は略しますが、私にとって印象的だった後半3分の1ほどの文章を引用します。

◎展示室の言葉をゆらす

(前略)
 本展には一応順路があるものの、通常の展覧会のような完結したストーリーがない。いきなり始まって、写真と言葉を浴びせ続けて、終わる。なぜこのように抑揚なく未完結なのか。「ストーリー」を作るのもまた、他人であるからだ。リアス・アーク美術館はそれに抗い、ゲリラ的に微細な言葉を発信する。内側から他人を動かし、記憶に刻み、接した誰をも当事者に変えるために。

 つまり、ドキュメンタリーの方法である。出品資料の一部「被災物」に添えられた、方言まじりの涙を誘う物語が、美術館による「創作」であると終盤に知らされても驚くにはあたるまい。これも展示された一つの文体であり、正当性(もっともらしさ)を乱反射させるドキュメンタリーの技術なのである。

 人間どころか生命の影がほぼ登場しない展示にもかかわらず、壮絶に人間くさい展示だった。出来事の壮絶さは展示の壮絶さを保障しない。壮絶さを与えていたのは、残し伝えようとする学芸員による必死の言葉と展示手法の発明である。(引用は以上)


芸術新潮は、内容の深さと編集のたくみさで多くの読者をもつ月刊誌。その中の新連載第1回目に気仙沼関連の記事が登場したことに本当におどろきました。成相肇さんと編集部の皆様にお礼を申し上げます。ありがとうございました。


なお、リアス・アーク美術館については、つぎのブログでも書いております。お時間のあるときにお読みいただければと。それと、6月12日(日)午前10:05からのNHK総合「渡辺謙 僕に、できること」をお忘れなきように。今週はこれにて。

2月15日ブログ「震災未来イメージ」
2015年8月14日ブログ「高山登の教え子達」
2014年4月17日ブログ「震災記録展示図録」

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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 芸術新潮 成相肇

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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