鮪立と海上の歴史

きのう5月26日のブログでは、東北芸術工科大学東北文化研究センター発行の冊子「東北一万年のフィールドワーク」シリーズNo.12『鮪立』を紹介しました。

鮪立はじめに
冊子『鮪立』p2・3見開きイメージ

この冊子の後記「おわりに」で、鮪立(しびたち)に関する研究プロジェクト調査指導にあたった川島秀一さんが、自分と鮪立の関わりを記していました。とても印象に残る一文なので、以下に紹介させていただきます。

◎鮪立と「海上の歴史」

 私が気仙沼市の市史編纂室に従事し始めたころの1981年であったと思う。民俗調査の聞き書きの話者として、私は初めて漁師という職業のお年寄りを紹介された。鮪立の浜田徳之翁(明治34年生まれ)である。

 擂鉢(すりばち)状の地形に沿って家並みが上へ上へと続く鮪立の集落のなかでも、浜田翁の自宅は上のほうにあった。鮪立湾前の道路から、家並に隠れた細い道を上りながら、ときおり足を休めて後ろを見下ろせば、そこには対岸の大島に挟まれた、鮪立の深い緑の海があった。海上や対岸の大島から見る鮪立も、背後の早馬山に抱かれたような美しい集落であった。

 そのような上り坂を、幾度登ったことだろう。浜田徳之翁はその当時、動力船以前の和船時代の漁業のことを知る、数少ない方であった。カツオ一本釣り船の船頭でもあったので、三陸沖の漁場も詳しかった。海上での船の現在地を知る「山バカリ」の技法を私に教えるときは、山の形を模した紙と紙とを何度も重ね合わせながら、テーブルの上をすべらせて見せてくれた。「気仙沼市史」は気仙沼市というオカだけの市域を対象とすることではないことを、私はそのとき初めて悟った。つまり、海の上にも「歴史」があったのである。(中略)

 海に生きているかぎり、その海との関わりをもっているかぎり、歴史はまた「海上の歴史」を繰り返す。鮪立という、この三陸の一漁村の歴史はそのまま、日本の漁業の歴史の縮図でもある。これからも、私たち気仙沼地方で生まれ育った者にとって、いつまでも誇りをもって語ることができる漁村であり続けるにちがいない。(引用は以上)

細い道を上りながら見た鮪立の深い緑の海。そして海側からながめれば背後の早馬山に抱かれたような美しい集落「鮪立」。これらの描写がとてもいい。そして私は、〈オカ(陸)だけではなく海の上にも「歴史」があった〉との表現に触れて、秀一さんとの関わりもあった歴史学者 網野善彦(あみのよしひこ)さんの思想を思い起こしました。

そういえば、網野善彦さんが古文書返却のために気仙沼を訪れた話を書こうと思っていながらいまだ果たせず。近いうちにということでお許しを。それではまた来週。

5月26日ブログ「研究報告『鮪立』」
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 鮪立 川島秀一

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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