菅野青顔図書館長

5月13日(金)のブログで三陸新報記事による「気仙沼図書館略史」を紹介しました。その記事のなかに、懐かしいお名前と顔写真がありました。菅野青顔(かんのせいがん)さんです。青顔さんは図書館長をつとめただけでなく、三陸新報の1面コラム「万有流転」を昭和28年12月2日から35年間にわたって執筆されました。「万有流転」での遠慮のない筆致は、ときに物議をかもすこともありましたが、私はこのコラムが大好きでした。

本日は、前回と同じく4月15日の三陸新報の特集記事から、菅野青顔さんに関する囲み記事を紹介します。

青顔さん4月15日

三陸新報4月15日記事の一部イメージ


以下に上記の記事を全文引用します。

◎本に傾注した無類の情熱
〜初代専任館長 菅野青顔氏

 気仙沼図書館の礎を築き、発展に尽くした一人に8代目館長の菅野青顔氏(明治36年〜平成2年)がいる。環境が厳しさを増した戦時下でも、体を張って館を守り、その後も充実した運営に心血を注いできた。“青顔館長”として慕われた菅野氏の足跡を振り返った。

 昭和16年、当時の大気新聞社から事務嘱託職員として図書館入り。初の専任館長として、在職中は、企業文庫の開設をはじめとする蔵書の充実や、身分証明書を使わない貸し出しなどの運営刷新に取り組み、今日の図書館の基礎を作った。

 ともに働いた荒木英夫館長(日本図書館協会会員)によると、「孔子が晩年、図書館で仕事をしていたことに憧れていたみたいです」とし、「教養や知識を深めるだけではなく、歴史伝承など、さまざまな役割を持つ本への情熱が大きかった人」と語る。

 「市民が疑問に思うことを解決できる館であること」「来た人には不自由ないサービスを提供すべき」などの信念を持ち、図書購入費が少ない現状を打破するため、企業文庫を創設。自身が持つ本を寄贈することも怠らず、蔵書の充実に力を注いだ。
 「在職中、利用する人へのサービスを一番に強調していた」と荒木さん。言論や出版の統制が強化された戦中、戦後の図書廃棄命令にも逆らうなど、図書館の独立性を守った人でもあった。
 「時代に流されず、歴史は伝えるべき」と、戦後は軍国主義教育を唱えた本も守った。館に残る戦前の資料の数々は、気仙沼にしかないものもあり、荒木さんは「図書館が存在するのは、菅野氏がいたからこそなんです」と強調する。

 辻潤、稲垣足穂、南方熊楠の研究の第一人者として全国的にも知られ、その関係書籍のほとんどを所有。生前、こうした名著、珍著に囲まれて目を覚ますことに、「幸せ者だと思っている」と語っていたという。本に傾注した無類の情熱が、現在の図書館の礎になっている。(記事引用は以上)

記事の最後に登場する辻潤、稲垣足穂(たるほ)、南方熊楠(みなかた くまぐす)の名は、私も中学のころから知っていたと思います。この3氏ともかなり〈独特〉の人たちで、地方新聞の紙面にその名がしょっちゅう登場する気仙沼というのも今かんがえるとかなり〈独特〉でした。

私は27歳のときに、青顔さんのご自宅にうかがいお話をお聞きする機会がありました。その話はまた、回をあらためて書くことにいたします。本日は三陸新報記事の紹介にとどめておきます。

5月13日ブログ「気仙沼図書館略史」
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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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