思い出のブルース

きのう5月10日のブログ「港町ブルース逸話」に、(気中)31回生11組20番さんからコメントを頂戴しました。それによれば、森進一さんが昭和天皇・皇后両陛下を前に〈港町ブルース〉を披露したときに、〈宮古 釜石 気仙沼〉を2度繰り返してしまったというのは有名な話とのこと。以下にコメントを再録させてもらいます。  

◎港町ブルースの思い出

こんにちは。 ご無沙汰しています。 2度繰り返したエピソードは有名ですよね。当時テレビで観ていて、2回歌った!と、びっくりした記憶があります。

このレコードは、初めて定価で買ったレコードで、5年の時だったと思います。定価と理(ことわり)を入れたのは、藤崎の催しで、ジュークボックスの払い下げのレコードを買ったのが初レコード購入だったからです。ちなみに購入したのは、ぴんからトリオの女のみちと、あのねのねの赤とんぼの唄です(笑)。1枚100円でした。

また、真偽は定かではありませんが、元歌詞は、宮古・釜石・大船渡だったのを、渡辺プロダクションとつながりを持つ土地の有力者が、気仙沼に換えさせた!と、父から聞いてます。

港町としての大船渡の知名度が、当時どういう位置付けかは判りませんが、1969年(昭和44年)の気仙沼港は、魚市場開設以来初の100億円を越え、サンマの水揚げも全国一をキープし(翌年花咲港に首位を譲りますが…)、少なくとも漁港としての格は気仙沼の方が上だったことを思えば、箔を付けるためのネタだった要素も否めませんが…?

レコードリリースが4月で、5月31日には、海難防止チャリティーショウにゲストで招かれ気中体育館で歌の披露もあったようです。(商工20年のあゆみ 昭和46年8月発刊より)

港町ブルースは、気仙沼に生まれ育ったことを、意識させてくれた唄だったように思います。(コメント引用は以上)


このコメントの中にある渡辺プロダクションとのつながりというのは、境和夫さんのことでしょう。気仙沼高校2回生ですので私たちの20年先輩にあたる方で、渡辺プロダクションの幹部だったと聞いています。調べてみると、1975年から1981年までTBS系列で放送された渡辺プロダクション制作のテレビ番組「笑って笑って60分」のプロデューサーとして境和夫さんのお名前がありました。このバラエティ番組は、小松政夫さんと伊東四朗さんによるコント〈小松の親分さん〉でも有名ですね。ニンドスハッカッカ、ヒジリキホッキョッキョ(笑)。

コメントにあった歌詞の変更についての真偽について私はわかりません。しかし、森進一さんは渡辺プロダクションに所属していましたから、歌詞について境さんの意向が働いたというのもありうる話です。1969年5月の海難遺児救済チャリティーショーの開催やその後の気仙沼訪問なども境さんと森さんの関係があってのことかもしれませんね。

31回生さん、おかげさまで気仙沼と〈港町ブルース〉との関係について理解が深まったように思います。ありがとうございました。
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 港町ブルース 境和夫

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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