舞根の生命の再生

きのう14日夜の地震には大変驚きました。熊本では震度7、亡くなった方もいらっしゃいます。現地では現在も救助等の活動が懸命に進められており、まずは被災された方々へのお見舞いのみ申し上げておきます。

本日も、遅ればせながら3月11日近辺の記事の紹介。3月8日の読売新聞朝刊です。

読売重篤さん
読売新聞3月8日朝刊より(クリックで拡大)

これは、3月23日のブログで紹介した山浦玄嗣さんの記事と同じく〈震災5年〜息吹を求めて〉シリーズのひとつです。気仙沼市唐桑町舞根(もうね)の畠山重篤(はたけやま しげあつ)さんの言葉がまとめられています。冒頭部を引用します。

「 あの日の夕方、裏山から見た光景は地獄絵図そのものであった。大津波の峠は越したものの、ゴーゴーと音をたてて潮が急流のように行ったりきたりしていた。余震も続いていた。

 海抜二十五メートルの高台に建つ我が家は辛うじて助かったようだが、風景の一部である海辺の家が全部姿を消していた。殆(ほとん)どの家が畠山という同一姓の地区なので各戸に屋号がついていた。

 二百年は続いていただろう旧家の寺釜(気仙大工が建てた赤瓦の大きい家)、釜の前(昔は塩を炊いていたので屋号になった。最近増築したばかりだ)。釜の前の上、中新、釜の前の下。横峰、前港、後港、貝浜別家、大岩、角、中、中新屋、中新屋別家、荒浜、上新屋、丸光、横峰隣。夕暮れの中でこれだけ数えられた。」(引用は以上)

西舞根地区のほとんどが〈畠山〉姓なので各戸を屋号で呼んでいたと。そしてその屋号が詳しく紹介されています。〈角〉とか〈中〉とかも。

この屋号の話を私は面白く読みましたが、その後には、集落52世帯のうち44世帯が流されて4人が亡くなったという話が続きます。そして老人ホームでお世話になっていたお母様の小雪さんも亡くなったと。火葬まで2週間を要したそうです。

この後は、あまりにも大きな被害を受けての絶望感などや、〈海が生きていた〉ことを知り、全国からのご支援を得ながらの復興への歩みなどが語られますが、詳細は略します。

記事の左側に、取材を担当した文化部 松本由佳さんの文章が記されていました。松本さんは5年前の4月にも舞根で重篤さんの話を聞いたそうです。文章は重篤さんの願いなどを紹介しながら、つぎのように結ばれています。

震災後、新たに孫が生まれた。名前は凪(なぎ)。海の安らぎを願い、命はつながっていく。


この末尾の文章。舞根の海の再生と、その海辺に暮らす人々の生命のつながりが互いに呼応して、強い印象が残りました。
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 畠山重篤 松本由佳 読売新聞

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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