お母さんへの手紙

きのう3月31日、臼井真人(まこと)君(3年2組)から電話がありました。〈きのうの三陸新報の連載〈大切な人へ〉の文章を書いた熊谷香代子さんは、俺と同じ2組だった斎藤香代子さんだよ。ほら、魚町の入沢の入口にいだっちゃ〉。私もその記事を読んではいたのですが、気づきませんでした。

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三陸新報3月30日記事より(クリックで拡大)

〈大切な人へ〉は、震災で亡くなった方をしのび手紙の形で語りかける連載記事です。その第11回目、香代子さんの〈手紙〉を紹介します。


大好きな お母さんへ

 あれから、もう5年。震災から3日後に、やっと会えましたね。「春圃」の皆さんのお世話で、綺麗なお顔のままで旅立たれました。数日後、46年前、59歳で突然逝ったお父さんの遺影だけが、奇跡的に実家の兄の元に届いた時、きっと慌てんぼうのお母さんが心配で、迎えに来てくれたのだと思いました。

 大好きなお父さんと、仲よく過ごしていますか。実家のあった魚町は、今は大型の復興トラックが行き交い、あの「気女高」も姿を消しました。復興住宅が建つとか。今、実家の跡地は駐車場です。その後に何年かかるのか、生まれ変わった気仙沼をきちんと見届けてから報告に行くつもりです……。一日でも早く、犠牲者の方々を弔う慰霊塔が建てられ、いつでも手を合わせられる場所が出来る事を願っています。

 私の3歳の孫とムキになって言い争っていたお母さん。あの孫も、もう中学生ですよ。お母さんの「卒寿のお祝い」の時、集合した8人の曾孫が、今では13人。今年の4月にまたひとり誕生しますよ。
 「歳をとれば、わかるよ」と、身をもって教えてくれましたね。私も3人の嫁の姑となり、6人の孫を授かり、教えてもらった気持ちがよくわかる、そんなお年頃になりました。

 兄ちゃん達も、姉ちゃんも、ばあちゃん大好き、孫達も、それぞれ幸福な家庭を築き、皆、お母さん譲りの笑顔で、一日、一日を感謝の気持ちを忘れずに、前を向いて歩んでいます。見守っていて下さいね。

 私も64歳になりました。仕事も、お客様達に支えられながら、もう少し続けてみようかな、と思っています。誕生日を迎えるたびに、感謝しています。生んでくれて有り難う。わがまま娘で心配ばかりかけ、本当にすみませんでした。夢でいいから、もう一度会いたいです。お母さん。



引用は以上です。〈夢でいいから〉とつづった香代子さんの気持ち。よくわかりますなどと簡単には言えません。真人君も感ずるところがあって、私に連絡をくれたのでしょう。その気持ちはよくわかります。付け加える言葉はなにもありません。
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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