ふるさとのことば

きのう3月23日、〈けせんぬまさいがいエフエム〉の横田真美子さんに、ブログでのコメント紹介を報告したところ、開局5周年の特別生放送で〈ふるさと〉をテーマにしたメッセージを募集中ということでした。そこで、つぎの内容を投稿しました。

〈 気仙沼の魚町生まれ、東京在住の小田と申します。本日で64歳になりました。東京で気仙沼の人に会うと、本当になつかしいなあという気持ちがわいてきます。きのうは、東京の六本木にある東京ミッドタウンで開催中の「復興デザインマルシェ」に行ってきました。八日町マルト斉藤茶補の斉藤道有さんが事務局長をつとめる「東北ツリーハウス観光協会」と、「kesemo」(けせも)ブランド商品を展開中の「気仙沼水産資源研究会」が出展していました。道有さんとお話しできたのはなによりでした。

振替休日だった21日(月)は、気仙沼の唐桑と鹿折の市民6名による演劇「それでも明日はやってくる」を見るため、東京目黒区のパーシモンホールに行きました。舞台で発せられるとても自然な気仙沼弁には驚きました。5年前の震災の日とその後の避難所などのシーンがあるのですが、すました言葉で行われる演劇とは違う、独特のあじわいがありました。

私は、気仙沼中学20回生支援の「気中20プラス」というブログを書いているのですが、気仙沼弁に関しての記事はいつもより高い反応を示します。気仙沼弁をなつかしむ気持ちは私だけではないようです。高校を卒業し気仙沼を離れて46年。「ふるさと」という言葉から連想されるのは「ふるさとの言葉」。私にとっては気仙沼の言葉です〉投稿内容は以上

21日のパーシモンホールでの公演には、菊田裕美君(3年1組)とふたりで行きました。前半が気仙沼の6名などによる演劇「それでも明日はやってくる」、後半が南相馬市の12名による「それでもここで生きていく」です。リーフレットに掲載されていた気仙沼メンバーはつぎの方々。

出演者

公演中の撮影は禁止でしたが、開演前の舞台準備の様子を紹介します。震災当日の気仙沼の家庭。女子高生と父母、祖父の4名が話しているときに地震が。お父さんは自分の船の沖出しに出かけます。

舞台

その後は、避難所でのシーンなどが。舞台からお祖父さんが〈なじょすべえ〉(どうしたらいいのか)などという気仙沼弁が、ごくごく自然に発せられるのです。劇のなかで、近所の女性が〈あなたのおとうさんはどうしたの〉と語るセリフがあったのですが、ここはやはり〈あんだいの父ちゃんは、なじょしたべ〉として欲しかった(笑)。

ストーリーの詳細は略します。気仙沼と南相馬の2グループがそれぞれ30分くらいでしたでしょうか。最後は全員が舞台にそろって挨拶。主催者である群馬県のNPO法人「こころの応援団」の理事で今回の演劇を指導したという千代田すみ子さんが、メンバーの感想などを聞いていきます。ご本人も感激した様子でした。

勢揃い

挨拶
最後に唐桑鮪立の小野寺一朗さんが挨拶

終演後に唐桑鮪立(しびたち)の小野寺一朗さんと鹿折(ししおり)の小野寺忠行さんに声をかけることができました。19日に群馬県高崎市で、そして21日に目黒での公演でしたから、大変だったと思います。舞台道具を車に積み込み、これから気仙沼に帰ると語っていました。

気仙沼と南相馬の皆さん、お疲れ様でした。それから千代田さんはじめNPO「こころの応援団」の方々にもお礼を申し上げます。ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 それでも明日はやってくる

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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