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杉目先生の口笛

目黒のさんま祭で再会した同じ魚町5区だった佐々木徹君(3年1組)との思い出のひとつが杉目(すぎのめ)先生です。気仙沼中学校の英語の先生で3年5組の担任でした。仙台の杉目豆腐店の息子さんで2浪して入学した早稲田大学を出てまもなくの若い先生です。

その杉目先生が徹君の家に下宿していたのです。2階の部屋の窓際にはスピーカー部が布(サランっていったかな)で張られた大きなラジオが左右に2台が置かれていました。その間にはレコードプレーヤー。先生はクラシックが好きで、レコードだけでなく当時始まっていたFMの実験放送なども聞いていました。LPレコードを大事そうにジャケットから引き出すしぐさや、ジャケット左上の黄色のタイトル部に装飾が施されていたことを覚えています。グラモフォン盤だったのでしょう。

その杉目先生は朝、徹君ちを出て学校に向かうとき、必ずといっていいほど口笛を吹くのです。ちょっと顔を上に向けてね。いろんな曲です。みんなとにかく“明るくて健康的な曲”。イメージとしては「ピクニック」。丘を越え行こうよ 口笛ふきつつ 空は澄み 青空 牧場をさして~~。

先生は結婚してから赤岩が住まいです。海から結構離れていたはずだから津波は大丈夫だったでしょう。ブログに書く前に確認と思い、先日から電話をしているのですがつながりません。それで徹君にメールで先生の消息をたずねました。

昨日の夜の徹君からの返信。
「 杉目先生の消息ですが、この震災時に亡くなったと思われます。私の親戚が、震災後のストレスで3月23日に亡くなり、葬祭場のアーバンに棺が置かれたときにお焼香に行きました。その時、杉目俊夫と記入された棺があり、驚いて蓋を開け、中を見たところ昔の面影がない痩せた男の方のご遺体がありました。後で聞いたところ以前より体調を悪くされていたとのことでした。
同姓同名の方がいるかもしれませんので、私も家族の方にお聞きしたいのですが、現在のところ確認がとれておりません。もっと早く教えるべきでした。ゴメンナサイ」 徹

驚きました。まだはっきりした話ではないとしても。なんとも言いようがありません。
ずいぶんとお世話になりました。たくさんの思い出があるのです。つもる話やお礼を言わなければならないのです。
いま思い出す杉目先生は、26~27歳。口笛を吹いています。

(以下、6日午後1時に追加)
さきほど、杉目豆腐店の電話番号を調べ、弟さんの奥様とお話しできました。
先生は、3月21日に亡くなりました。震災時、先生は入院していたそうですが、病院の停電などもあったようです。自宅は大規模半壊で住めず、無事だった先生の奥様は一時娘さんのところに避難し、9月ごろから自宅の場所にトレーラーハウスを設置し暮らしているとのことです。

杉目先生のご冥福を謹んでお祈りいたします。
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/66~67歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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