かもめ食堂が原点

2月23日の朝日新聞朝刊に〈かもめ食堂〉の千葉憲二君が紹介されていました。オピニオン面の〈ふれあい まち中華〉という記事で、ほかに中華の〈鉄人〉陳 健一さんとライターの北尾トロさんのふたりの話も紹介されています。

朝日かもめ
朝日新聞2月23日朝刊記事の一部イメージ

朝日新聞デジタル2月23日配信記事

憲二君のインタビュー記事を一部引用します。

◎腹と一緒に心も満たす

(前略)思い返せば、最後に(かもめ食堂に)行ったのは、もう十数年前になるかな。有名なラーメン店「一風堂」の社長を連れて行って、ここが僕の原点なんだと口にしたら「千葉ちゃん、この店継げよ」って言われちゃってさ。その時は、冗談言うなよって、受け流したんだけど、5年前の東日本大震災で気持ちが動いた。何度か炊き出しに行って、その店も何もかも流された気仙沼の町を見たら、なんとしても再開させたいと思うようになってね。客も働き手もいねぇからやまた方がいい、何人もから言われたけど、去年の11月になんとか再開したんだ。ソロバンはじいたら合わないのはわかってるけど、もう、商売とかじゃないよ。

 どうして?って、気仙沼は港町だから、港に活気が戻らなきゃ、町はよみがえらない。巨費を投じて防潮堤ができたり、かさ上げ工事が進んだりしても、夜はまだ真っ暗でしょう。人通りもない。せめて一つでも港に明かりをと思ってね。なじみの顔と、なじみの味と会える場所があれば、つかの間でも気持ちがほぐれる。そういうのが、本当の復興って言うんじゃないかな。(後略)引用は以上。

記事の冒頭に、4歳のとき、父親に連れられて初めて外食でラーメンを食べたのが、かもめ食堂だったという話がありました。これは有名な話。それから3年後にお父さんは他界したそうです。それだけに〈ふたりで並んで食べた記憶が忘れられないんだね〉と。

憲二君は、ラーメン店〈ちばき屋〉のほか、銀座で和食店まかない〈きいち〉も経営していますが、〈きいち〉とは42歳で亡くなったお父さんの名前です。そうか、7歳のときだったのか。あらためてそのことを知ると、憲二君が〈かもめ食堂〉復活にかける情熱というか心情がどこから来るものなのか、ちょっとだけわかったような気もしたのです。
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ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 かもめ食堂 千葉憲二 ちばき屋

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気中20回生支援会

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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