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風呂を“もらう”

昨日のブログに「カネサの倉庫」と書いて思い出したのが「もらい風呂」。

私たちが小学生や中学生だったとき、つまり1950~60年代、風呂は毎日はいるものではありませんでした。今のように風呂は簡単には沸きません。私の家でも、はじめは薪(まき)で風呂をたいていました。(その後に重油バーナー、次に灯油の風呂釜とステップアップしていきましたけど)ですから近所の親しい家同士で、お風呂を“もらう”わけです。

私も、父が焼津や清水、あるいは築地などへと出張して不在のときには、カネサとか佐々木徹君ちとかの風呂をもらいました。
カネサの倉庫はカサブランカの隣のほかに、坂を2~3軒のぼったところにもありました。そこにヒノキでしょうか木のお風呂があったのです。

「カネサ」というのは屋号で、斉藤さん(というとなんか感じがでませんが)。魚町坂口の実家の上隣。竹輪やさつま揚げをつくっていました。一学年上にせいちゃん、ひとつ下に妹のきよこちゃん(今は佐々木徹君の奥さん)がいました。2つか3つぐらい上にお姉さんのやっちゃんもいましたね。

昼間に母親同士で話がついているのでしょう、夜にガラッと戸がひかれ、「アイダガラネ~」と声がかかります。風呂があきましたからいつでもどうぞ。
「ドウモネ~」と母が応えて、風呂をもらいにいくのです。“湯をもらう” とも言ったかな。いまでも80Wぐらいの電球の下で入ったお風呂の記憶がよみがえります。 湯をあがる前に、浮いたよごれを一所懸命すくったりしたこととかね。

貧しかったのか、エコだったのか。あるいは豊かだったのか。正直、よくわかりません(笑)。
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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