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カサブランカ

9月18日の目黒のさんま祭で再会した佐々木徹君(3年1組)。同じ魚町5区、近所の同級生ですから、たくさんの思い出があります。少しずつ紹介しようと思います。

徹くんちは佐々木食料品店。私が中学のころはパンやお菓子から缶詰まで様々な食料品を扱っていました。たまに私も店番の手伝いということで、店に面した茶の間でテレビを見ながらトランプかなんかをすることがありました。

そんなある日の夜、店の電話がなって配達の注文がありました。その商品は忘れました。卵だったか小麦粉だったか。それを受けて徹君が、「アキちゃんも一緒にいくべ」というのです。

そして着いた先が五十鈴神社/おしめさんの手前の「カサブランカ」です。
「カサブランカ」と聞いて、魚町を思い出す人は、まあ間違いなく57~58歳以上でしょうね。私の実家がある(じゃなかった、実家があった)坂の下のダンスホールです。

ちょっとアールデコを意識したような建物の右と左に扉があって、左が地下のバー、右がダンスホールへの入口です。徹君は慣れた様子で左の扉から階段を下ります。
いやあ、驚きました。なんか鏡に囲まれたようなキラキラした空間がそこにはありました。いま考えればお酒のボトルがならんだ普通のバーカウンターだとは思うのですが、なにせ中学生だからね。記憶では左上にミラーボールが回っています(笑)。

たぶん徹君も、「アキちゃんの知らない世界をみせてあげる」的な気分があったのではないでしょうか。実際、そこには大人の妖しい世界があったような、ないような。
一学年上の佐藤秀一さんが三陸新報で連載していた「鼎が浦物語」でも、私たちの父母世代がまだ若かったころのダンスブームについて書かれていました。そのひとつの舞台、それが「夜のカサブランカ」です。

その建物も、たしか30年ぐらい前にはなくなったのではないでしょうか。
9月4日の帰省時。兄と息子と、魚町を去る最後におしめさんにお参りしようということになりました。
私は歩きながら「この道はもっと狭かったけど、車もあまり通らずキャッチボールができたね」とか「ここにカサブランカがあった」そして「この隣がカネサの倉庫で、下に降りてセイちゃんとピンポンをやった」などと、問わず語りにつぶやいていたのです。
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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