昭和5年頃の柏崎

1月15日のブログ記事「1953年の 鼎ヶ浦」で、昭和28年当時の気仙沼内湾風景の写真を紹介しました。そこにうつる柏崎(かしざき)をながめていて、南町から柏崎の下を通って港町にぬける道はいつできたのだろうと疑問がわいてきました。

『気仙沼文化史年表』(荒木英夫編)にその記述がありました。〈昭和8年(1933年)7月30日 柏崎下の護岸工事完成。南町と現在の港町が繋がる(出典:大気新聞)〉

さらに『目で見る気仙沼の歴史』にはつぎの写真が掲載されていました。(クリックで拡大)

柏崎
『目で見る気仙沼の歴史』(昭和47年 気仙沼ライオンズクラブ発行)より(クリックで拡大)

上の写真の説明文を紹介します。「昭和5年ころ。砕石が北海道室蘭につみだされた。山の上、杉の木と並んで信号所が写っている。これは、その日の天候を知らせ、出船の利用に便利にするためで、強風のときは赤球を、強風雨は円筒状のものを、暴風雨の予報は円錐形のものをあげた。これはすべて石巻測候所から、電報か電話で警察署に連絡があって、毎朝揚げさげしていた。」

右下の写真は「柏崎からバタ崎(蜂ケ崎)を:昭和8年、南町から港町までの道路ができる間、柏崎はこのような状態だった」との説明。撮影年ははっきりとしませんが、向こう側の海に帆船が見えます。

左下の写真は「昭和8年の柏崎」です。第1次漁港修築で、道路ができたとの説明。

杉の木や信号所があった柏崎山に気仙沼プラザホテルが開業したのは昭和48年(1973年)7月7日。唐桑町鮪立(しびたち)の旧家〈古館/こだて〉鈴木家の経営でした。そして平成18年、ホテル観洋も営んでいた阿部長商店がその経営を継承していまに至ります。

上の写真の撮影年である昭和4年は1930年。86年前。柏崎の風景も大きく変貌しましたが、それと同じく魚町や南町も大きく変わりました。その前年、昭和4年2月23日には気仙沼大火があり、魚町や南町は壊滅的な被害を受けているのです。

柏崎をふくめ、魚町や南町などの内湾地区は今後どのような変貌をとげていくのかなあ。86年後の気仙沼の風景。それがこの地に暮らす人達が愛し、誇りを持てるものであって欲しいと願っています。

2014年9月15日ブログ「昭和の気仙沼大火」
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 柏崎 目で見る気仙沼の歴史

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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