あの日の音の記憶

3週間前、10月1日の三陸新報につぎのような記事が掲載されていました。

阿部会長
三陸新報10月1日記事の一部イメージ

〈3.11 あの日を語り継ぐ〉シリーズの15回目で、阿部長商店の取締役会長である阿部𣳾兒(たいじ)さんの話が紹介されています。

阿部会長はあの日、気仙沼市田中前にある事務所で打合せ中だったそうです。〈私は眼が悪くて一人では自由に歩けないので、外へは出ませんでしたが、揺れが長引くし、大変な地震だねと〉。副社長の運転する車で、渋滞のなか、内ノ脇の自宅兼本社事務所に行き、屋上に避難します。そして阿部さんの音の記憶とは。以下に記事を引用します。

〈 聞こえるのは、「ああ、流れだ、流れだ」とか「来た!」とか言う言葉と悲鳴なんです。みんなにはいろいろ見えているけど、私の耳には、渋滞していたときの、車の中にいた人の悲鳴がこびりついています。

ただの声ではないんです。だから、あまり思い出して考えたくない。自分だけ生きてしまったという気持ちと、助けられなかった情けなさ、それで気持ちが病むようになった。しばらくは、誰にも言わなかったし、聞かなかったね。

ただ、あの時のあの車がどうなったかとか、どんなものが流れてきたかというのは、みなさんから聞かされました。船や工場などが寄せられて流れていった時のガリガリ、ガリガリという音だけは自分の耳ではっきり聞いています。

避難した人の声なのか、流されてれ車の人の声なのか分からないが、その悲鳴が耳にこびりついているんです。屋根に乗ったまま流されて行く人もあったと聞きますが、見える人は、そういう現状だから声が出るんですが、見えなくて声だけ聞かされるのも、つらかった。 〉(引用は以上)

視覚ではなく、耳から入ってくる音や声の記憶です。私にはとてもリアルに感じられました。この阿部さんの話は2回にわたり掲載されました。翌日の記事の最後に阿部さんは自分の経験から、防潮堤についてつぎのように語っています。

〈 人生にはこういうこともある。伝えたいのは、津波が来たら高い場所に逃げなさいよということだけです。(中略)防潮堤だなんて名前はいいけど、逃げればいいんだから、そんなものは造らなくていい。(中略)防潮堤がいい事ばかりじゃないというのは、山田や宮古の陸を歩いた時期に、何でこんな高いコンクリートの堤防を造ったのかなあと。こんなじゃまなもののために、何を放棄したのかなと思って悔しかった記憶があったけど、たまたま今度の震災では、そこの人たちがたくさん亡くなった。安心させて人殺しをしたようなもんだ。防御できるものじゃない。社会を見ていないから、人間をだめにする。災害は必ず来るんだということを、植えつけなければいけません。〉(引用は以上)

阿部長商店さんは水産加工業のほかホテルなども経営する気仙沼を代表する企業のひとつです。事業の復興にあたっては大変多くの補助金なども受けていることでしょう。それだけに行政が進める防潮堤計画に対する反対意見はなかなか述べにくいと思うのです。そんななかで、息子さんが社長をつとめ、自分は会長という立場の違いもあるのか、かなり率直な考えを述べているなと感じました。

津波のときの阿部さんの話。読んでいて、いやな記憶がよみがえるという人がいたらごめんなさい。ただ、後世に記憶を継承するというのは、こうしたことなのだろうなと思い紹介させてもらいました。


なお、三陸新報「あの日を語り継ぐ」ではこれまで、ふたりの同級生の話が掲載されています。つぎのブログで紹介しております。

3月20日ブログ「あの日を語り継ぐ」小山容子さん
4月24日ブログ「植木実君のあの日」
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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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