気仙沼の広野画塾

今日から10月。9月27日の三陸新報にこんな訃報広告が掲載されていました。

9月27日画塾
三陸新報 9月27日掲載広告

〈広野画塾〉の廣野重雄先生の奥様 廣野静江さんが9月24日にお亡くなりになったとのこと。享年92。

訃報には〈「絵を描く子供の番人・広野画塾」を主宰した重雄の内助静江の死去により、鬼籍の人となった二人に代わり、改めて心より御礼申し上げます〉とありました。

手元の『広野画塾〜廣野重雄の世界と画塾の記録』(1990年発行 廣野重雄 著・西田耕三 編)に収録された自筆年譜によれば、先生は明治40年生まれ。昭和7年に加藤里子さんと結婚しますが、昭和37年に奥様を脳溢血で失っています。私が10歳ごろのことで、画塾に通っていましたので覚えています。そして昭和39年(1964年)、先生が56歳のときに及川静江さんと再婚したのです。年譜の昭和6年の記述に先生の妹たみ子さんが但野芳衛さんと結婚とありました。喪主の邦芳さんは、妹さんの息子さんでしょう。

『広野画塾』の巻末には、3000人近い塾生名簿も掲載されており40人以上の気中20回生の名もありました。〈あの当時はみんなが広野画塾に通ったもんだ〉とよく語ったものでしたが、学年の1割ぐらいでしょうか。

廣野先生については、以前のブログでも書いているのですが、お亡くなりになったのがいつかよくわかりません。36年前に一度お会いしたのが最後になりました。私が27歳のとき、会社をやめて4カ月ほどスリランカ、モルディブ、インド、ネパールを旅したのですが、帰国後5カ月ほどを気仙沼で過ごし、その際におたずねしたのです。とても喜んでくれて、私の話を面白がってきいてくれました。そんなことや広野画塾についてはいろいろと思い出すこともあるので、あらためて書くことにします。

訃報広告には、先生や夫人お二人に代わり御礼を申し上げますと書かれていましたが、お礼を申し上げなければならないのは、こちらのほう。画塾に通っていなければ、私のその後の人生はすこし違ったものになっていたでしょう。

廣野重雄先生、そして先生や画塾を支えてくださったお二人の奥様にあらためてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

2011年7月28日ブログ「画塾の広野先生」
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 廣野重雄 広野画塾

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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