明治末頃の八日町

東京はとにかく暑い。きょうも35度超えは確実で、7日間の連続猛暑日とのこと。この暑さ、気仙沼も同様のようで、きのう5日は36.4度を記録。日本列島が、とんでもないことになっているようです。

さて本日も気仙沼市八日町の話題。きのう紹介した写真は、大正11年の本吉物産共進会の祝賀風景でしたが、〈お日市〉の最盛期だった明治時代の八日町の写真はないかと思って調べたら、『目で見る気仙沼の歴史』(気仙沼ライオンズクラブ/昭和47年発行)に〈明治末の八日町通り祭〉という写真がありました。(右上に少しうつっているのは他の写真です)

明治末八日町
『目で見る気仙沼の歴史』より

説明文には、〈漁業組合が出した山車。組合長横田金兵エ宅(八日町)前〉とあります。〈明治末の八日町通り祭〉と書かれているだけですか、これが〈お日市〉なのではないでしょうか。

気仙沼市史(第4巻)によれば、気仙沼漁業組合は明治36年に設立され、その初代組合長が、横田金兵衛(4代目/本名は佐助)です。現在の八日町〈横田屋〉にもつながります。市史は金兵衛について〈現港町の丘陵中腹で海産問屋、缶詰工場、鰹節製造も経営。明治44年には組合の名義で動力船〈鼎丸〉を建造したが、同船は初航海で行方不明となった〉と記しています。

しかし、この写真の山車のすごいことといったら。きのうのブログでも紹介した〈東京などから職人をよび、趣向をこらした山車をつくり〉という説明文どおりですね。

この写真が『目で見る気仙沼の歴史』に掲載されているのは知っていたのですが、その背景を知ることなくながめておりました。八日町〈お日市〉をきっかけにして、気仙沼の明治末の歴史と風景に触れることができました。

8月5日ブログ「大正時代の八日町」
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 お日市 目で見る気仙沼の歴史

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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